井筒 (能)
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『井筒』 (いづつ) は、能を代表する曲の一つである。世阿弥作と考えられ、世阿弥自身この曲には自信があったという。多くの場合男性が女装して演ずるシテの女が、更に男装するのも特徴である。
井筒 |
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作者(年代) |
世阿弥(室町時代) |
形式 |
複式夢幻能 |
能柄<上演時の分類> |
紅入り鬘物、三番目物 |
現行上演流派 |
観世・宝生・金春・金剛・喜多 |
異称 |
なし |
シテ<主人公> |
井筒の女の亡霊 |
その他おもな登場人物 |
旅の僧 |
季節 |
秋 |
場所 |
大和国石上、在原寺跡 |
本説<典拠となる作品> |
伊勢物語 |
能 |
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注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
目次 |
[編集] 概略
『伊勢物語』23段の「筒井筒」に取材した複式夢幻能であり、若い女性をシテとした、序ノ舞を舞う大小ものである。幼馴染の在原業平と紀有常女との間の情を、「井筒の女」と呼ばれた紀有常女の霊を主人公にして描く。筒井筒の物語にあらわれる以下の歌が、他の業平及び紀有常女の歌と共に、能の中に美しく取り入れられている。なお、井筒は井戸のことである。
- 「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 過きにけらしな 妹見ざるまに」
- 「くらべこし 振分髪も 肩すぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき」
- 「風吹けば 沖つ白浪 竜田山 夜半にや君が ひとりこゆらん」
[編集] 舞台進行
- 前シテ: 里の女(化身)
- 後シテ: 井筒の女(霊)
- ワキ: 旅の僧
- アイ: 里の男
- 正面先に井筒の作リ物。薄の穂が植えてある。
名ノリ笛につれてワキが登場し、諸国一見の僧であり初瀬に向かう所であると名乗る。今いる所は大和国在原寺という寺であり、昔、在原業平と紀有常女の夫婦が住んでいた石上である。これから夫婦の菩提をともども弔おうと言って、脇座に座る。
次第の囃子に乗り、前シテが静かに登場。秋の夕べ、寂しい寺に一人回向をする優美な女性の姿である。僧がこれに問いかけると、美女は井戸の水を塚にかけつつ、自分はこの近在の者である、ここはかの業平夫婦が住んでいた場所であるから、回向しているのだと答える。それにしても随分昔の話ではないか、今になって墓参するとは奇特なことだ、何か縁があるのでしょう、と僧が問うが、女はそれを否定し、昔語りを続け、懐かしがる。隣同士だった幼い二人は、井戸にお互いの顔を映しあい遊んだものだった。やがて思春期を迎える頃には恥ずかしく、疎遠になっていたが、男から女へ「筒井筒」の歌が送られ、女は「くらべこし」の歌を返した。夫婦の契りをした、あれは19才のときでした… 実は自分はその女なのだと打ち明け、シテは一旦退場する。
片幕で舞台に登場していたアイの居語(いがたり)となる。間狂言の口から同様の物語が語られる。多分今の女は井筒の女の霊であろう。僧は寺に一夜を籠ることにする。
一声の後、先の女が僧の夢の中に再度あらわれる。今度は業平の形見の冠と上着をつけて男装している。夜更けの寺で月の光に照らされながら、「恥ずかしいことだが」と言いつつ、昔の夫になって、女は序ノ舞を舞う。筒井筒の歌のモチーフを繰り返しつつ、薄をかき分け井戸を覗き込めば、月影に映る姿は女とは見えず亡き夫業平の面影そのものである。生前の夫婦愛を回想しつつ、やがて寺の鐘の音を聞き、ほのぼのと夜があけるにつれ、『明くれば古寺の、松風や芭蕉葉の、夢も破れて覚めにけり、夢は破れ、明けにけり』(シテのトメ拍子)。
[編集] 資料
- 岩波書店 日本古典文学大系 「謡曲集」上 「世阿弥の能」 引用部分はp.279 (初版第四刷)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 能楽「井筒」 - 滋賀県立大学能楽部による『井筒』全文、現代訳、注釈付。
- 在原寺跡 - 天理市のサイト。
- 能面 長澤重春能面集:小面