今川彦五郎
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今川 彦五郎(いまがわ ひこごろう、永正14年(1517年) - 天文5年3月17日(1536年4月7日))は今川氏親の子。母は寿桂尼。
同じく彦五郎を名乗った今川氏の人物についてはそれぞれ今川範忠(本項彦五郎の曽祖父)、今川義忠(範忠の子)、今川氏親(義忠の子、彦五郎の父)、今川氏真、今川範主(高家旗本)の各記事を参照。
1536年3月17日、兄で今川家当主氏輝と同日に急死する。 子がない兄の後継者だったという説もある。他にも、氏輝の実子だったとの説もある。
上記に見られるように、範忠、義忠、氏親、そして氏真と通称を彦五郎とする者は、のちの徳川将軍家に生まれた竹千代と同様であって、今川家の後継者である者を意味すると考えられる。
彼らの謎の死が今川義元とその庶兄玄広恵探による家督相続争い・花倉の乱へとつながる。