倉成正
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倉成 正(くらなり ただし、1918年8月31日 - 1996年7月3日)は、昭和、平成期の日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。第3次中曽根内閣の外務大臣。元自民党衆議院議員の倉成正和は長男。
[編集] 来歴・人物
長崎県長崎市出身。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東洋高圧、長崎県農地農林部長などを経て、1958年の第28回衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補し当選する。以後、当選回数12回。自民党では、河野派から中曽根派に所属する。1974年、第2次田中第2次改造内閣の経済企画庁長官として初入閣。
福田内閣で再度経済企画庁長官として入閣後、1986年、第3次中曽根内閣の外相として入閣する。倉成が外相として起用されたのは、中曽根が自派の議員である倉成を外相とすることで外交を一元的に掌握することを狙ったことに加え、倉成が郵政族議員として通信政策に通暁していたため、外務省の通信網整備を実施させるためであった。
中曽根派が渡辺派に衣替えすると、同派の会長代行に就任した。1993年、第40回衆議院議員総選挙には立候補せず、引退した。同年勲一等旭日大綬章を受章する。1996年7月3日死去。享年77。