全体主義
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全体主義(ぜんたいしゅぎ、totalitarianism)とは、個人の自由、個人の利益に対して、全体の利益が優先される政治原理、およびその原理からなされる主張のことである。歴史的には戦間期にこうした主張があらわれたとされるが、今日でも、個人の自由や利益を制約する傾向が顕著な国家について「全体主義国家」あるいは「全体主義体制」の呼称があたえられている。
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[編集] 背景
- 「全体主義」の語は1925年、イタリアのムッソリーニによって初めて用いられた。また、ムッソリーニ体制下のイタリアが1929年11月2日の「ロンドンポスト」によって最初に全体主義国家と称せられている。
- 全体主義は第一次世界大戦後、欧米諸国の自由民主主義体制に対する批判として、戦間期のドイツのナチズム、イタリアのファシズムにあらわれた。
- 同時期の大日本帝国でも大政翼賛会と軍部の下で全体主義体制がしかれたとされていた。しかし、1970年代までに全体主義体制概念が整理されたことから、大日本帝国の政治体制が全体主義体制と呼び得るか否かが議論の対象になった。現在は、第二次世界大戦中の日本を軍国主義と呼ぶ例が増えている。
- 当初の議論で全体主義が標的としたのは、ブルジョワ民主主義の思想や制度である。すなわち、19世紀後半から顕在化した労働問題などの各種社会問題において、当時の自由主義国家は有効な対応を立てられなかった。国家は個人の自由には立ち入らないまま、深刻さを増していく社会問題を放置しているのであり、ブルジョワ階級の取引と妥協の場と化した議会もまた、中間層以下の庶民の苦しみに目を向けようとしていない。全体主義の主張では、こうしたブルジョワ民主主義の「欠点」が批判されたのである。
- 全体主義がその「処方箋」として示したのは、国家が積極的に介入してこなかった社会、経済、文化の諸領域にまで干渉し、不毛な選挙や議会政治を否定して、直接的な民意形成を採用することである。こうした体制運営によって、それまで過剰に偏重されていた個人の自由を制限し、国家全体の利益を優先させることが可能になるとされたのである。
- 第二次世界大戦後は、著名な全体主義研究家ハンナ・アーレントによってファシズムもナチズムも単に共産主義で既に言われていた階級の概念に人種を代入したものであることが解明され、旧ソビエト連邦におけるスターリニズムなどに代表される共産主義が「完成度の高い全体主義」として整理される(実際、ファシズムやナチズムの多くが共産主義の組織形態に倣っていたことが地域史研究で解ってきてる)。今日においても、共産党一党独裁制を堅持する中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国などにも全体主義がみとめられる。
- 同時多発テロ以後のアメリカのブッシュ政権においても、国内の個人の自由を制約する傾向が強まっており、全体主義の気配が生まれつつあるとする意見もある。
[編集] 概要
- ユートピア的イデオロギーによって正当化されることが多い。
- 善意(あるいはそれを装って)によって生まれる。
- 既存政体を変更せねばならないため、極右や極左のような極端な思想をもつ個人ないし集団が目新しい装いで支持をひきつける。この為、「改革」「前進」「新体制」「総動員」「国を護る」等と言った大衆が解り易いスローガン・プロパガンダを多用する。
- 新世代への希望を発端にして生まれる。
- 労働者階級等の貧困層、少産階級のように、政治に不満を持つ階層を取り込む運動によって生まれやすい。
- 貧困層が多数派の、普通選挙制度を採用する国で生まれやすい。
- 軍事力だけではなく、人民の合意によっても生まれる。
- 完全主義の人々が主導力となる。
- 大衆の好意を獲得しやすい。
- 少数意見を言いづらい雰囲気を作る。
- (主宰者の独善に拠るが)一定の美学の上に存立している。
[編集] 欠点
- 思想・文化等すべてをイデオロギー一色で塗りつぶしてしまうので、それらは自然的な発展が許されず、イデオロギー化のための手段として利用される。
- イデオロギーに染まった人々が主導権を握るために、正当な主張を持っていたり、あるいは学術・芸術などに優秀な能力を有していても、体制に従わない者は抹殺されていくため、役立つ人材が居なくなる恐れがある。
- 個人の頭で自由に判断する能力を奪われてしまう。
- 政治・経済・文化・思想・国民等、すべてを国家が管理するため、国家政策として集約的に工業力を上げるなど効率が良い場合と、組織の硬直化を招くなど効率が悪い場合が極端に現れる。
[編集] 政体および政治体制としての呼称
アリストテレスは政体を君主政・共和政・民主政と分類し、その堕落形態を専政・寡頭政・衆愚政として分類した。近代では戦間期から全体主義の語が登場し、第二次世界大戦に入ると全体主義および全体主義体制の語は民主体制への対置として用いられはじめた。1970年代以降は、非民主的な政治体制をすべて全体主義体制として把握することを避けるため権威主義体制の概念が提唱され、政治体制をどのように規定すべきかという議論とともに全体主義体制・権威主義体制・民主主義体制という分類が定着しつつある。