八田原駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
八田原駅(はったばらえき)は広島県世羅郡甲山町(現:世羅町)小谷(おたに)にかつて存在した西日本旅客鉄道(JR西日本)福塩線の駅(廃駅)である。
目次 |
[編集] 駅構造
- 開業当時から1面1線の停留場であった。
[編集] 駅周辺
現在は八田原ダムによってできた人造湖(芦田湖)の水底に沈んでいる。
- 八田原ダム
- 甲山ふれあいの里
- 夢吊橋
[編集] 歴史
1938年7月28日国鉄(当時)福塩線・府中町駅(現:府中駅)~上下駅間が開通し、福塩線が全通。当時の同区間には下川辺・河佐・備後三川・備後矢野の4駅しかなく、世羅郡三川村小谷字八田原(当時)の住民が鉄道を利用するには河佐駅か備後三川駅に出るしかなかった。特に河佐駅に出るには山と川しかない淋しいところを通らなければならなかった。
1963年10月1日住民の陳情が実り、前記区間では中畑駅とともに開業する。駅間距離は河佐駅からは2.5km、備後三川駅からは6.4kmであった。
しかし、八田原駅設置から数年後芦田川下流の福山・府中両市の人口が増加したことや福山市東部の海岸部に日本鋼管(現:JFEスチール)の大規模な製鉄所が進出したことなどから既に上流にあった三川ダム(世羅郡世羅町伊尾)では十分需要に対応できなくなり、八田原ダムの建設が計画される。このため、八田原駅付近の福塩線は大幅に付け替えられることになった。
八田原駅については存続を求める意見もあったが、トンネル内にホームを設置するのには多額の費用がかかる上、それに見合った需要が見込めないことから1982年に付け替えをもって廃止されることが決定した。その頃には八田原ダム予定地にかかる家屋は相次いで移転しており、八田原駅での乗降は皆無ということも珍しくない状況になっていた。
1987年4月1日国鉄が分割・民営化され、福塩線はJR西日本の管轄下に置かれることになる。
1989年4月19日の最終列車の発車をもって八田原駅はわずか25年半の歴史に幕を下ろした。翌4月20日からは福塩線の列車は八田原トンネル(延長6,123m)を通ることになり、八田原駅には列車は通らなくなった。1997年八田原ダムが完成し、八田原駅の跡は芦田湖の底に沈んだ。
[編集] 現状
駅跡は芦田湖の底になっている。当時の駅名板は芦田湖のほとりにある郷土民俗資料館に展示されている。