内藤信輝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内藤 信輝(ないとう のぶてる、天和2年10月27日(1682年11月26日) - 享保10年10月25日(1725年11月29日))は、越後国村上藩の第2代藩主。父は内藤信良(信輝は三男)。母は小早川氏。初代藩主・内藤弌信の養子。正室は奥平昌成の娘。側室は武笠氏。幼名は弥十郎。官位は従五位下。紀伊守。伊予守。豊前守。
1694年閏5月21日、亡父の養子だった弌信の養子となる。1725年2月18日、養父・弌信の隠居により家督を継いだが、同年4月頃から病に倒れ、10月25日に村上城で弌信よりも先立って死去した。齢44。四男の内藤信興が家督を継いだ。法号:威徳院心誉玉峰浄眼。墓所:江戸小石川の無量院。