分析哲学
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分析哲学(ぶんせきてつがく)は、特に20世紀以降の英語圏で盛んに行われている哲学の一領域を指す言葉であり、しばしば「大陸系哲学」(continental philosophy)と対比される。 言語哲学,心の哲学,科学哲学なども参照。
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[編集] 全般的傾向
分析哲学という一つのまとまった哲学は実のところ存在しない。しばしば分析哲学とは言語哲学であるかのような言い方がされるが、実際には言語そのものを対象としているのは分析哲学のほんの一部にすぎず、テーマにおいても立場においても非常に雑多である。しかし、全般的な傾向としては以下のようなことが言えるだろう。
- 言語表現のレベルで問題を設定する
- 概念分析を中心的なツールとする
- 定義や議論の論理構造をはっきりさせ、できるだけ明瞭な議論を行うことを旨とする(記号論理学を重視する)
- 分析の正しさの基準として、思考実験や哲学的直観にしばしば訴える
- 経験科学の知見を取り入れて議論を展開することも多い
逆にいえば、こうした特徴をそなえていれば、マルクス主義であっても分析的マルクス主義として分析哲学の一分野になるし、形而上学も研究手法次第では分析形而上学となる。
[編集] 歴史
[編集] 第二次大戦まで
20世紀初頭にゴットロープ・フレーゲやバートランド・ラッセルによって記号論理学が成立し、論理学が強力な分析のツールとなったことが一つの契機としてあげられる。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は、記号論理学の使用について一つのパラダイムとなり、ウィーン学団の論理実証主義に影響を与えるなど、大きな力をもった。 また、G.E.ムーアの「自然主義的誤謬」についての分析など、概念分析を中心とする分析が登場したのも20世紀初頭であった。 この時期の分析哲学の中心はイギリスとドイツ語圏であり、言語哲学における意味の理論や数学の基礎づけ、科学哲学における操作主義や論理実証主義などが主な領域となった
[編集] 第二次大戦後
第二次大戦後すぐは日常言語学派が大きな力を持つようになり、ギルバート・ライル,J.L.オースチンらによって哲学的な問題が日常言語の問題へと解体されていった。これもまたヴィトゲンシュタインの影響が大きかった。 しかしその後、第二次大戦中にドイツ語圏から主要な哲学者がアメリカへと移住したことをうけ、第二次大戦後の分析哲学の中心は次第にアメリカへと移って行った。この動きを代表するのが、ルドルフ・カルナップの影響をうけたクワインの戦後の一連の著作である。クワインは分析と総合の区別の否定、意味の全体論、根源的翻訳の議論、自然化された認識論の議論など、さまざまな刺激的なテーゼをくりだし、分析哲学のアジェンダ設定の役割を果たした。
[編集] 関連人物
- ヴィトゲンシュタイン (Ludwig Wittgenstein, 1889 - 1951)
- エイヤー (Alfred Jules Ayer, 1910 - 1989)
- オースティン (John Langshaw Austin, 1911 - 1960)
- カルナップ (Rudolf Carnap, 1891 - 1970)
- グッドマン (Nelson Goodman, 1906 - 1998)
- H. L. A. ハート (Herbert Lionel Adolphus Hart, 1907 - 1992)
- ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン (Willard van Orman Quine, 1908 - 2000)
- ストローソン (Peter Frederick Strawson, 1919 - 2006)
- デイヴィドソン (Donald Davidson, 1917 - 2003)
- フレーゲ (Friedrich Ludwig Gottlob Frege, 1848 - 1925)
- ライル (Gilbert Ryle, 1900 - 1976)
- ローティ (Richard Rorty, 1931 - )
- マイケル・ダメット (Michael Dummett, 1925 - )
[編集] 関連項目
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