前田慶寧
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前田 慶寧(まえだ よしやす、1830年6月24日(天保元年5月4日) - 1874年(明治7年)5月22日)は、加賀藩の第14代藩主。父は第13代藩主・前田斉泰。母は第11代将軍・徳川家斉の娘・溶姫。正室は有馬頼徳の娘・崇、久我建通の娘・鷹司政通の養女・通子。子に利嗣、慰子(有栖川宮威仁親王妃)、礼(榊原政敬室)、衍(近衛篤麿室)、貞(近衛篤麿室)などがいる。
官位は従三位。加賀守。参議。1864年、父に代わって入京して御所の警備に当たっていたが、禁門の変で敗れて御所の警備を放棄して退京したため、父の怒りを買って謹慎を命じられた。このとき、側近の松平康正(大弐)や大野木仲三郎をはじめ、多くの側近たちが父や本多正均らの手によって処罰されている。一説には慶寧は尊皇攘夷派と親しかったため、それを苦々しく思った父が弾圧したのだという。
1866年、父から家督を譲られて藩主となったが、実権は父に牛耳られていたため、主体性はほとんど無かった。戊辰戦争では、新政府軍に味方している。1874年、父に先立って45歳で死去した。
[編集] 関連項目
- 石川県知事一覧(加賀藩知事)
- 前田氏(加賀藩14代)藩主
- 1766~1871
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- 先代:
- 前田斉泰
- 次代:
- 前田利嗣