北アイルランド
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標語:Dieu et mon droit (フランス語: 神と私の権利) |
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イギリス全土と北アイルランド |
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公用語 | 英語、アイルランド語、 アルスタースコットランド語 |
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首府 最大都市 |
ベルファスト | ||||
首相 | 不在 | ||||
面積 - 全体 |
イギリス構成地域のうち第四位 13,843 km² |
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人口 - 全体 (2001年) - 人口密度 |
イギリス構成地域のうち第四位 168万5267人 122人/km² |
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NUTS 1 | UKN | ||||
発足 | アイルランド統治法 (1920年) | ||||
通貨 | ポンドスターリング (£) (GBP) | ||||
時間帯 - in 夏時間 |
UTC+0 UTC+1 |
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国番号 | +44 281 | ||||
国花 | シャムロック | ||||
守護聖人 | 聖パトリック | ||||
1. アイルランド共和国は048 |
北アイルランド(きたアイルランド 英語:Nothern Ireland, アイルランド語:Tuaisceart Éireann, アルスタースコットランド語:Norlin Airlann)はグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国を構成する4地域の一つ。アイルランド島北東に位置するアルスター地方9州の内の6州からなるためアルスター6州とも称されている。 面積は1万4139km²、2001年4月時点での人口は168万5267人。 首都は東岸に位置するベルファストで住民は24万人あまりである。
目次 |
[編集] 歴史
- 詳細は北アイルランドの歴史を参照。
1920年に成立したアイルランド統治法によってアイルランドは南北に分割され、それぞれに自治権が付与された。その後に発生したアイルランド独立戦争の講和条約である英愛条約に基づいて南部26州によりアイルランド自由国が建国されグレートブリテンおよびアイルランド連合王国より分離した際は北アイルランドも自由国の管轄内に含まれていた。しかしアイルランド自由国で内戦が始まったため、英愛条約の条項に基づいて北アイルランド議会は自由国からの離脱を表明して連合王国にとどまることになった。
19世紀にアイルランドがグレートブリテン王国に併合されて以来、アイルランド共和国においてはユニオニスト(イギリスとの連合維持を主張)とナショナリスト(イギリスからの独立を主張)の対立が続いていた。アイルランド全土がイギリスに支配されていた時代から、北アイルランド地域はグレートブリテン島からの植民者が多数を占めておりユニオニストの勢力が強かった。また必ずしもアイルランド人即ちナショナリストではなく、経済的に考えると英国へ帰属したほうが有利であると考える者も多かった。このようなことが考慮されてきたアイルランドはイギリス統治下に残留することになった。
1960年代後半になると、アメリカ合衆国の公民権運動の影響を受けて、社会的に差別を受けていたカトリックと、プロテスタント主体の北アイルランド政府との対立が深刻化した。IRA暫定派を始めとするナショナリストとユニオニスト双方の私兵組織と英陸軍、北アイルランド警察が相争う抗争が続き、数多くのテロによって数千名にものぼる死者が発生するなど、この北アイルランド問題によって社会と経済の混乱は極めて劣悪なものになった。
1990年代になると和平への道が模索されはじめ、1996年になるとユニオニストおよびナショナリスト政党、私兵組織とイギリス、アイルランド両政府によってベルファスト合意が形成され、これに基づいて全政党が参加する北アイルランド議会が設置された。この功績によって穏健派政党の党首であるデヴィッド・トリンブルとジョン・ヒュームにノーベル平和賞が授与されている。21世紀に入ってもIRA暫定派の武装解除が達成されるなど紛争解決へ向けた方向性に変わりはないが、過激派による散発的なテロが現在も発生するなど問題は完全には解決されていない。これらの対立は一般的にはプロテスタント対カトリックによる宗教対立として捕えられる傾向にあるが、上に示したように対立要因は極めて複雑であり一概に語る事はできない。
[編集] 住民
2001年に行われた調査では北アイルランドの住民の内45.5%がプロテスタントであった。この中には長老派、アイルランド聖公会、メソジストなどが含まれている。それに対してカトリック教徒は40.3%であった。その他の13.9%の住民は特定の宗派、宗教を有していない。[1]
他の調査によると、住民の38%が自身をユニオニストであると規定し、同様に24%がナショナリスト、そして35%がどちらにも当てはまらないと回答している。[2]全体の59%は長期的な視野にたった英国による北アイルランド統治を是認するとのべ、22%が統一アイルランドの形成を支持している。[3]態度が不明確な層が存在するのは北アイルランド同盟党が一定の支持を受けていることからも裏付けられる。最近の選挙においては、54%が親プロテスタント政党に投票し、42%が親カトリック政党へ、残りの4%がそれ以外の政党に投票している。
2005年以前に生まれた全ての住民にはアイルランド共和国の市民権が自動的に与えられていた。これはベルファスト合意を受けて2001年に制定されたアイルランド共和国の国籍法の条項によっている。ベルファスト合意においては、イギリスとアイルランド両国が北アイルランドの全ての住民にアイルルランド人またはイギリス人となる権利を与えるとある。現在でもこれは大多数の住民に適用されている。
[編集] 政治
1960年代に北アイルランド問題が開始される以前には、アルスター統一党がイギリスの保守党の、アルスター自由党が自由党に代わって議会を支配していた。北アイルランド労働党についてはイギリス本国の労働党とは強い協力関係を有していなかった。この他にはアイルランド統一を掲げるナショナリスト党とシン・フェインが活動していた。
1960年代後半から1990年代にかけて北アイルランドはユニオニストとナショナリストの私兵組織が騒乱とテロを繰り返す北アイルランド問題が巻き起こった。この社会的混乱に各政党も強い影響を受けた。アルスター統一党はサニングデール合意を批判して保守党との関係を断絶した。アルスター自由党は自由民主党へと衣替えしたが、支持を失い現在は同盟党の姉妹政党に落ちついている。北アイルランド労働党は解党され、一部の議員によって社会民主労働党が結党された。
近年になって、イギリスの主要政党が北アイルランドの選挙に参加しようとする動きが見られる。保守党は1980年代の終わりから候補者を送り出しているが、支持はほとんど得られていない。自由民主党は同盟党を支援している。
現在の北アイルランド政府は1998年のベルファスト合意によって設立が決定されたが2002年から機能を停止している。同時に設置された北アイルランド議会についても党派間の対立によって機能停止に追い込まれた。2003年の北アイルランド総選挙においては強硬派のシン・フェインと民主統一党が穏健派以上の票を獲得するなど政治的対立が先鋭化する傾向も見られる。
北アイルランドの主要政党は次のとおりである。議席は2006年2月時点でのものであり、この他に無所属議員は二名存在する。
政党名 | 派閥 | 特徴 | 議席数 |
---|---|---|---|
民主統一党 | ユニオニスト強硬派 | - | 32 |
シン・フェイン | ナショナリスト強硬派 | IRA暫定派に関係する | 24 |
アルスター統一党 | ユニオニスト | 保守派 | 24 |
社会民主労働党 | ナショナリスト | 社会民主主義 | 18 |
同盟党 | 無派閥 | リベラル | 6 |
進歩統一党 | ユニオニスト | 私兵組織に関係する | 1 |
英国統一党 | ユニオニスト | - | 1 |
保守党 | - | 英国の保守党の支部 |
英国下院の選挙においては、人口比に従って全646議席中の18議席が北アイルランドに割り当てられている。2005年の総選挙により決定した現在の議席数は民主統一党が9議席、シン・フェインが5議席、社会民主労働党が3議席、アルスター統一党が1議席である。シン・フェインの議員は女王への宣誓の拒否、統一アイルランドを正統政府と見なすなどの信念から議会には参加していない。
[編集] 経済
北アイルランドの経済規模はイギリスの4地域中で最小である。主要産業は造船、ロープおよび繊維製造などであったが、次第にサービス業が占める比率が増加している。北アイルランド問題により長年の停滞を経験したが、近年ではイギリスとアイルランド共和国両国の好景気を受けて失業率が改善するなど落ち着きを取り戻しつつある。
人口あたりのGDPは€19,603であり、北西イングランド地方やウェールズよりも多い。[4]1986年に17.2%にも及んでいた失業率は現在4.5%にまで減少した。[5]労働者の特徴として、他の英国内地域に比べて長時間勤務をおこなっていること、収入について性差が少ないことなどが挙げられる。[6]
[編集] 地理
次の6つの州(County)からなる。
ベルファスト以外にはロンドンデリー、ニュリー、アーマー、リスバーンが主要都市として挙げられる。世界遺産に登録されているジャイアンツ・コーズウェーとコーズウェー海岸を始めとする観光地も多い。
[編集] 文化
歴史的な経緯から、北アイルランドではイギリスとアイルランドの双方に由来する文化がみられる。言語は英語の他にアイルランド語とアルスター・スコットランド語が公用語として認められているが、現在では中国系移民の増加を反映して中国語が二番目の母語集団となっている。
食事には特に特有のものはないが、アルスター・フライという朝食が著名である。ベーコン、目玉焼き、ソーダパンまたはポテトパンからなる。
[編集] スポーツ
スポーツの分野ではアイルランドと合同で運営されている競技が多い。最も人気があるのはサッカーであり、少年向けの国際大会であるミルク・カップも開催されている。国際的に最も良く知られている北アイルランド出身選手であったジョージ・ベストは2005年に死去している。
[編集] 関連記事
- 北アイルランド問題に関する研究者
[編集] 参照
- ↑ Population in Northern Ireland: breakdown by religious denomination, Census 2001
- ↑ Ark survey, 2003. Answer to the question "Generally speaking, do you think of yourself as a unionist, a nationalist or neither?"
- ↑ Ark survey, 2004. Answers to the question "Do you think the long-term policy for Northern Ireland should be for it to [one of the following"
- ↑ Regional GDP per capita in the EU25. 25 January 2005. Eurostat. URL accessed 10 May 2006.
- ↑ "Northern Ireland's economic fears". 22 June 2001. Orla Ryan, BBC. URL accessed 10 May 2006.
- ↑ Economic Overview. 2006. Northern Ireland DETI. URL accessed 10 May 2006.