北条宗政
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北条 宗政(ほうじょう むねまさ、建長5年1月28日(1253年2月27日) - 弘安4年8月9日(1281年9月23日))は、鎌倉幕府の評定衆である。鎌倉幕府第5代執権北条時頼の3男、母は北条重時の娘。妻は北条政村の娘、子に後の第10代執権北条師時ほか。第8代執権北条時宗の弟。幼名を福寿丸という(後に相模四郎と称した)。
評定衆・一番引付の頭。右近衛将監、武蔵守を歴任する。元寇に際しては兄・時宗の名代として出陣している。1277年には、再度の元軍襲来に備えて筑後守護に任じられた。
[編集] 官職位階履歴
※日付=旧暦
- 1265年(文永2)4月23日、従五位下に叙し、右近衛将監に任官。
- 1272年(文永9)10月、幕府の評定衆と就る。
- 1273年(文永10)、引付頭人を兼帯。
- 1277年(建治3)6月17日、武蔵守に転任。 8月29日、一番引付頭人と就る。
- 1281年(弘安4)8月9日、出家して道明と号するが同日卒去。享年29