北条時敬
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北条時敬(ほうじょう ときゆき、1858年(安政5)3月23日 - 1929年4月27日)は、教育者・数学者。幼名は粂次郎(くめじろう)。第12代学習院院長
[編集] 経歴
加賀国金沢(現・石川県金沢市池田町)に金沢藩士の次男としてうまれる。北条家は鎌倉北条氏の末裔という。 石川県専門学校(第四高等学校)の校長を経て、広島高等師範学校(現、広島大学教育学部)の初代校長に就任。東北帝国大学総長、学習院院長を歴任。
1929年4月27日、肝臓がんで死去。享年71。
ボーイスカウト運動の日本への普及にも功績があり、1908年の万国道徳教育会議(ロンドン)に日本代表として参加する際に牧野伸顕文部大臣から、英国のボーイスカウト運動を研究してくるよう委嘱され、スカウト運動に関する参考文献やスカウトの制服などを日本へ持ち帰った。
[編集] 略歴
- 1885年:東京帝国大学理学部数学科卒業 石川県専門学校(後の第四高等学校)の教師となる
- 1888年:東京帝国大学大学院に入学
- 1894年:山口県山口高等学校教頭
- 1896年:同校校長
- 1898年:金沢の第四高等学校校長
- 1902年:広島高等師範学校(現・広島大学)初代校長
- 1908年:ロンドンでの万国道徳教育会議に出席。イギリスのボーイスカウト運動を調査し日本に紹介
- 1913年:東北帝国大学総長
- 1917年:学習院院長
- 1920年:宮中顧問官 貴族院議員に選ばれる
- 1929年:肝臓がんにより死去
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