北条時益
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北条時益(ほうじょう ときます、? - 元弘3年/正慶2年5月8日(1333年6月19日))は、鎌倉幕府最後の六波羅探題(南方)である。北条氏政村流の北条時敦の子。左近将監。
1330年(元徳2年)、六波羅探題南方となる。1331年(元弘元年)の元弘の変で、六波羅探題北方の北条仲時とともに、挙兵して笠置山(京都府相楽郡笠置町)に篭城した後醍醐天皇を攻め、天皇を隠岐島に配流する。
1333年(元弘3年/正慶2年)、後醍醐の綸旨を受けて挙兵に応じた足利尊氏(高氏)に六波羅を攻められ、仲時とともに、光厳天皇や花園上皇を伴って東国へ落ち延びようとしたが、道中の近江国(滋賀県)で野伏に襲われて討死した。
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