北陸本線
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北陸本線(ほくりくほんせん)は、滋賀県米原市の米原駅から新潟県上越市の直江津駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。米原~近江塩津間が大阪近郊区間に含まれる。このほか、敦賀~敦賀港間の貨物支線を持つ。
日本海に沿って関西と北陸・東北とを結ぶ日本海縦貫線の一部を構成する。
米原~近江塩津間ではICOCA、及び東日本旅客鉄道(JR東日本)のSuica、またスルッとKANSAIのPiTaPaが使用できる。さらに米原~長浜間では、上記に加えてJスルーカードも使える。
目次 |
[編集] 路線データ
- 管轄・路線距離(営業キロ):全長356.5km(支線含む)
- 軌間:1067mm
- 駅数:
- 旅客駅:78駅(起終点駅含む)
- 貨物駅:4駅(旅客併設駅除く)
- 複線区間:米原~直江津間
- 電化区間:米原~直江津間
- 閉塞方式:複線自動閉塞式(米原~直江津間)、タブレット閉塞式(敦賀~敦賀港間)
- 最高速度:
- 特急・急行列車:
- 北越急行・JR西日本681系、北越急行・JR西日本683系電車による列車:130km/h
- 寝台特急等の客車列車:110km/h
- 上記以外の車両による列車:120km/h(485系電車は北陸トンネル内に限り130km/h)
- 普通列車:110km/h(415系800番台・419系電車は100km/h、気動車は95km/h)
- 特急・急行列車:
- 運転指令所:
- 米原~近江塩津間:新大阪総合指令所
- 近江塩津~直江津間:金沢総合指令所
- 運行管理システム:JR京都・神戸線運行管理システム(米原~近江塩津間)
[編集] 運行形態
[編集] 優等列車
並行する新幹線がないため、大阪・名古屋方面および新潟・越後湯沢(上越新幹線接続東京)方面への特急列車が多数運転されている。そのため、「特急銀座」とも呼ばれる。大阪方面からの特急列車の大半は湖西線を経由するが、大阪~新潟間の急行「きたぐに」は米原経由となっている(ただし、強風などの影響により湖西線が不通になった場合は、湖西線経由の特急は米原経由で運転される)。
- 大阪方面
- 名古屋・米原方面
- エル特急「しらさぎ」(名古屋~富山・泊・和倉温泉、米原~金沢)
- 越後湯沢・新潟方面
- 地域内輸送
- 特急「おはようエクスプレス」(福井→富山、富山・七尾→金沢)
- 特急「おやすみエクスプレス」(福井→金沢)
- 主に通勤輸送が目的であり、土曜・休日は運休する。
- 夜行列車
[編集] 地域輸送
[編集] 米原~敦賀間
米原駅から敦賀駅までは直流電化されており、大阪方面からの新快速が乗り入れる(北陸本線内は各駅に停車)。米原駅から長浜駅までは1991年に直流電化されていたが、直流電化区間を敦賀駅まで延長する工事が2006年9月24日に完了し、試運転などの最終準備ののち、10月21日のダイヤ改正から新快速が敦賀駅までの直通運転を開始した。これによって大阪・京都の通勤圏が福井県内まで拡大することが期待されている。なお、当面は1時間に1本程度で1日上下25本(うち、米原経由が8本・湖西線経由が17本)の新快速が敦賀駅まで運転される。また、米原経由近江塩津折り返しの列車も18本設定されている。
米原~近江塩津~湖西線(北側)という乗り継ぎが2006年10月改正以降、以前と比べると比較的容易になったことから、このルートを経由した東海道新幹線との乗り継ぎも、以前に比べると増えると見られている。 なお、京都・山科と敦賀間の移動は、時間帯によって湖西線経由がよい場合と、東海道経由がよい場合とが存在し、利用者は事前に調べておくことが求められる。
敦賀までの直流化完成時に、一部の普通列車でワンマン運転に対応した両運転台の125系電車が投入された。また、交直両用の新型車両521系電車が該当区間の大半の普通列車がこれで運用されることになっている(車両製作スケジュールの都合で、2006年11月下旬から)。
[編集] 敦賀~直江津間
敦賀以東の普通列車は地域輸送の足であり、途中の金沢駅を軸として関西・中京方面の特急列車に接続したり、上越新幹線(東京方面)に連絡する新潟・越後湯沢方面の特急列車との接続にも重きが置かれたダイヤが組まれている。敦賀までの直流化で敦賀を境に系統分離されたため、敦賀・武生・福井・芦原温泉・大聖寺・小松・金沢・高岡・富山・黒部・泊・糸魚川・直江津間にそれぞれ区間列車が設定されており、3両または6両編成で、概ね12~60分間隔で運行されている。普通列車の最高速度は110km/hである。
なお、敦賀までの直流化完成後は、上述の通り、福井への直通用として521系新型交直流電車が投入される予定である。また現在使われている419系や475系などの車両は経年が長く、老朽化が進んでいるために今後の動向が注目される。一方、北陸新幹線が金沢まで開業すると、北陸本線では金沢~直江津間がJRから経営分離されることが確定しているため、大きな投資ができないのが実情である。
[編集] 使用車両
北陸本線では、以下の車両が使用される。
[編集] 特急・急行列車
- 485系電車(エル特急「雷鳥」・特急「北越」)
- 489系電車(急行「能登」)
- 583系電車(急行「きたぐに」)
- 681系電車(特急「サンダーバード」・「はくたか」・「おはようエクスプレス」・「おやすみエクスプレス」)
- 683系電車(特急「サンダーバード」・「しらさぎ」・「はくたか」・「おはようエクスプレス」・「おやすみエクスプレス」)
- 14系客車(寝台特急「北陸」)
- 24系客車(寝台特急「トワイライトエクスプレス」・「日本海」)
[編集] 普通列車
- 125系電車(米原・長浜~敦賀間)
- 221系電車(米原~長浜間)
- 223系電車(米原~敦賀間)
- 413系電車
- 415系電車(七尾線からの乗り入れ)
- 419系電車
- 471系電車
- 475系電車
- 521系電車(米原~福井間 2006年11月登場予定)
- キハ58系気動車(城端線からの乗り入れ)
- キハ120形気動車(越美北線からの乗り入れ)
[編集] 歴史
[編集] 概略
北陸本線は全線が官営鉄道として建設された。長浜~敦賀港間は東海道線の支線として日本人技術者の手で建設され、1889年に同区間が開通した。敦賀港が1899年に国際港として開港するとロシアとの定期航路に連絡する列車が運行されるようになった。
当初、木之本~敦賀間は塩津経由で計画されていたが、予算が足りず、柳ヶ瀬経由で敷設された。これには柳ヶ瀬~今庄間に連絡線を敷設する意図もあったそうである。その後、後述のように紆余曲折を経て68年後の1957年に塩津新線開通により当初の計画通りの路線に落ち着いた。また柳ヶ瀬トンネル掘削工事は難航し、開通するまでの2年ほどは雁が谷~洞道西口間は峠越えの徒歩連絡であった。
福井、金沢、富山方面への延伸にあたっては、政府の財政難から民間資本による建設が計画されたが、不況で資金が集まらず会社設立まで至らなかったり、鉄道敷設の仮免状下付にまで漕ぎ付けたものの内紛から着工することができなかったため、結局その後、敦賀以北も官営鉄道として建設することが決定され、1893年に着工された。
1896年に敦賀~福井間が開業し、同年に北陸線と命名された。この時、敦賀~今庄間は険しい山地を避け海側の杉津経由で建設されたが、それでも25‰の急勾配と12ヶ所のトンネル、4ヶ所のスイッチバックが連続する難所となった。「北陸線の盲腸」とまで謂われた路線ではあるが、その路線風景の美しさは鉄道唱歌にも「海のながめのたぐいなき 杉津をいでて…」と詠われたほどである。時の大正天皇が行幸行脚された際には杉津駅にて汽車の発車を止めて、しばし眼下に広がる敦賀湾の眺望を堪能されたという逸話も残っている。
路線はさらに延伸され、1899年には富山駅まで開通した。当時の富山駅は神通川の付け替え(馳越線)の計画があったことなどから、1903年に神通川が付け替えられた後の1908年に神通川橋梁が完成するまで神通川左岸にあたる田刈屋に駅舎が設けられた。
北陸最大の難所といわれる親不知海岸を通る富山~直江津間は富山東線・富山西線として建設された。1913年に最後の青海~糸魚川間が開業し、米原~直江津間が全通。全線が北陸本線となった。
全通してからは輸送力増大のため、勾配緩和や複線化などの路線改良が課題となった。
木之本~敦賀区間は日本初のダイナマイト掘削による柳ヶ瀬トンネルなどを含む鉄道敷設黎明期の旧規格の急勾配区間であり、開通時より土砂崩落、雪崩、雪害、路線凍結やヤスデ異常繁殖による車輪空転事故、トンネル内の窒息事故などが頻発していた。就中、1928年12月の柳ヶ瀬トンネル内の窒息事故を契機に深阪経由の新線を敷設することが決定した。戦争を挟んで工事が一旦、中断したものの戦後第一次5ヶ年計画として1952年に再開。不況により再度中断するもの1957年に木ノ本~敦賀間が近江塩津経由の新線に切り替えられた。この時、旧線は柳ヶ瀬線として分離される。なお、柳ヶ瀬線は勾配区間用の強力エンジンを搭載した専用ディーゼル車キハ52を投入したものの、「赤字線」から脱することができず、北陸本線並走区間複線化への路盤提供のためもあり、1964年に廃止されている。
引き続き第二次5ヶ年計画として敦賀~今庄間の改良工事に着手。1962年には全長13,870mの北陸トンネルが開通し、敦賀~今庄間が新線に切り替えられ、杉津経由の旧線は無事故を記録したまま廃止された。詳細は北陸トンネル、杉津駅の項を参照のこと。
現在、木ノ本~敦賀~今庄間の旧線ルートの大半には北陸自動車道が通っている。刀根下り、杉津上り両パーキングエリアはかつての駅跡である。この路線変更によりかつての急行停車駅、中之郷、今庄あたりは寂れ、杉津駅が廃止されたことにより、越前海岸に停車する駅が失われた。柳ヶ瀬区間および杉津区間の在りし日の記録フィルムが2004年に発掘されJR西日本金沢支社の手で編集、DVD化されている(雁ヶ谷「かりがや」が「かりがたに」と誤記されているが)。
路線改良はこれに留まらず、倶利伽羅峠越え、親不知、更にはフォッサマグナにあたり、地盤が脆弱で地滑り事故の多発していた浦本~直江津間なども新線付け替えを余儀なくされた。いずれも長大なトンネルを含む新線に付け替えられ、輸送力・スピードアップ・事故防止・勾配緩和には貢献したものの風光明媚な海岸線の眺望などの喪失を残念がる年配の声もある。
電化および複線化も順次進められた。1957年に田村~敦賀間が電化され、1969年には全線の電化・複線化が完成した。田村~梶屋敷間の電化では交流60Hzが採用されたが、交流電化としては仙山線に次いで日本で2番目、60Hzは日本初である。なお、民営化後に新快速など京阪神方面との直通運転のため1991年9月に田村~長浜間が直流電化に転換され、2006年9月24日には長浜~敦賀間が、湖西線の永原~近江塩津間とともに直流電化に転換された。
2014年に北陸新幹線長野~金沢間の開業が予定されており、その際金沢~直江津間と同区間内で分岐する枝線はJRの経営から分離される。具体的な運行主体は未定(ただし枝線であった富山港線は既に富山ライトレールとしてJRから分離されたが北陸新幹線の件とは一切関係がない)。
[編集] 年表
[編集] 米原~富山間
- 1882年3月10日 長浜~柳ヶ瀬間、洞道口(仮)(後の洞道西口)~金ヶ崎(現:敦賀港)間開業。柳ヶ瀬~洞道口間は徒歩連絡。
- 1884年4月16日 柳ヶ瀬トンネル開通に伴い、柳ヶ瀬~洞道西口(仮)間開業。洞道西口(仮)駅廃止。
- 1889年7月1日 米原~長浜間開業。
- 1896年7月15日 敦賀~杉津~今庄~福井間開業。
- 10月21日 線路名称制定。米原~福井間、敦賀~金ヶ崎間を北陸線とする。
- 1897年9月20日 福井~小松間開業。敦賀~金ヶ崎間旅客営業廃止。
- 1898年4月1日 小松~金沢間開業。
- 11月1日 金沢~高岡間開業。
- 1899年3月20日 高岡~富山間開業。
- 1902年2月15日 新庄駅を丸岡駅に改称。
- 6月1日 虎姫駅開業。
- 1903年1月1日 長浜駅移転。旧駅は現在の長浜鉄道記念館である。
- 7月11日 小舞子駅開業。
- 1907年11月16日 粟津駅開業。
- 1908年3月21日 杉津~今庄間に大桐信号所開設。
- 1909年6月1日 敦賀駅移転。米原方面~福井方面スイッチバック運転を解消(代りに米原方面~金ヶ崎駅がスイッチバックとなる)。
- 1912年3月2日 敦賀駅構内の線路を付け替えして米原方面から金ヶ崎駅へのスイッチバックを解消。
- 1913年4月1日 柳ヶ瀬~疋田間に刀根信号所開設。
[編集] 富山~直江津間
- 1908年11月16日 富山西線 富山~魚津間開業。
- 1910年4月16日 富山西線 魚津~泊間開業。
- 1911年7月1日 富山東線 名立~直江津間開業。
- 1912年10月15日 富山西線 泊~青海間開業。
- 12月16日 富山東線 糸魚川~名立間開業。
- 1913年4月1日 青海~糸魚川間開業し米原~直江津間全通。富山東線・富山西線を北陸本線に編入。
[編集] 全通後
- 1916年11月1日 東郷信号所が駅に昇格し新保駅開業。
- 12月25日 刀根信号所が駅に昇格し刀根駅開業。
- 1919年1月11日 金ヶ崎駅を敦賀港駅に改称。
- 11月25日 新保~杉津間に葉原信号所、杉津~大桐間に山中信号所開設。
- 1921年4月15日 牛ノ谷駅開業。
- 1922年3月15日 柳ヶ瀬~刀根間に雁ヶ谷信号所開設。
- 4月1日 信号所を信号場に改称。
- 1923年8月1日 加賀笠間駅開業。
- 10月15日 越中大門駅開業。
- 1925年8月1日 金沢~森本間に小坂信号場、森本~津幡間に花園信号場開設。
- 10月1日 野々市駅を西金沢駅に改称。
- 1926年5月1日 春江駅開業。
[編集] 昭和初期
- 1927年9月1日 呉羽~富山間に田刈屋信号場開設。飛越線(現:高山本線)分岐点。
- 12月20日 王子保駅開業。
- 1931年9月15日 法性寺駅(現:坂田駅)開業。
- 10月14日 田村駅開業。
- 1932年9月20日 貨物支線 敦賀港~敦賀新港間開業。
- 1933年8月1日 小坂信号場が駅に昇格し東金沢駅開業。
- 1938年10月1日 金沢~津幡間複線化。花園信号場廃止。
- 1940年11月1日 法性寺駅、田村駅休止。
- 12月1日 福井操車場(現:南福井)~福井間複線化。
- 1943年4月1日 貨物支線 敦賀新港駅を敦賀港駅に統合。(-1.2km)
- 4月10日 今庄~鯖波(現:南条)間に湯ノ尾信号場開設。
- 10月1日 福井~森田間に北福井信号場、大聖寺~動橋間に作見信号場、滑川~魚津間に早月信号場開設。
- 1944年10月11日 敦賀~新保間に深山信号場開設。作見信号場が駅に昇格し作見駅(現:加賀温泉駅)開業。
[編集] 第二次大戦後
- 1947年7月1日 有間川駅開業。
- 1948年9月1日 湯ノ尾信号場が駅に昇格し湯尾駅開業。
- 1949年7月10日 北福井信号場を北福井仮乗降場として旅客営業開始。
- 1950年1月28日 浦本駅開業。
- 5月20日 東岩瀬駅を東富山駅に改称。
- 1951年9月1日 北福井仮乗降場廃止。
- 1952年12月1日 福井操車場が駅に昇格し(貨)南福井駅開業。
- 1954年8月1日 休止していた法性寺駅を改称し坂田駅営業再開。河毛駅開業。
- 12月10日 休止していた田村駅営業再開。
- 1955年5月1日 北鯖江駅開業。
- 10月1日 富山操車場(現:富山貨物駅)開設。
- 11月11日 倶利伽羅~石動間に安楽寺信号場開設。
- 1956年4月10日 三日市駅を黒部駅に改称。
- 1957年4月25日 西高岡信号場が駅に昇格し西高岡駅開業。
- 8月12日 田村~長浜間複線化。
- 10月1日 木ノ本~近江塩津~敦賀間単線開業。
- 木ノ本~敦賀間の旧線を柳ヶ瀬線として分離。各駅は1面1線ホーム化。刀根駅のスイッチバック解消。中之郷駅の引き込み線、切り替え設備などが解消されて全線一閉塞運転となる。雁ヶ谷信号場が駅に昇格し雁ヶ谷駅開業。
- 本線と柳ヶ瀬線は新疋田/疋田~鳩原信号場間で合流。合流地点より少し北側に新設された鳩原信号場で調整。
- 10月1日 田村~近江塩津~敦賀間交流電化。米原~田村間複線化。
- 10月1日 泊~市振間に越中宮崎信号場開設。
- 11月15日 市振~親不知間に風波信号場開設。
- 11月20日 越中宮崎信号場が駅に昇格し越中宮崎駅開業。
- 1958年4月10日 貨物支線 富山操車場(現:富山貨物)~蓮町間開業。
- 1959年3月31日 生地~入善間に西入善信号場開設。
[編集] 高度成長期/昭和30年代後半
- 1960年5月31日 呉羽~富山間複線化。
- 7月1日 西入善信号場が駅に昇格し西入善駅開業。
- 9月26日 松任~西金沢間複線化。
- 9月28日 西金沢~金沢間複線化。
- 9月30日 石動~福岡間複線化。
- 1961年9月28日 福井~森田間複線化。
- 9月29日 魚津~黒部間に片貝信号場、青海~糸魚川間に姫川信号場開設。
- 1962年2月19日 丸岡~金津(現:芦原温泉)間複線化。
- 3月19日 今庄~湯尾間複線化。
- 3月21日 今庄~福井間交流電化。
- 5月10日 複線電化に先立ち、今庄機関区廃区式、挙行。
- 6月2日 新線切り替えに先立ち、敦賀~今庄旧線区間廃線式、挙行。
- 6月9日 早朝上り216、下り225列車を以て下り線線路付け替えのため敦賀~杉津~今庄間(19.3km)廃止。以降終日新線を暫定使用。運行は旧ダイヤに基づき、敦賀駅で時間差調整された。
- 今庄機関区廃止、在籍蒸気機関車はすべて金沢機関区に移籍(一部、長野機関区移籍。DFなどディーゼル機関車は富山機関区移籍。DDは米原機関区移籍になり、柳ヶ瀬線でも時折使用された)。
- 6月10日 北陸トンネル正式開通。敦賀、福井各駅にて祝賀式典が執り行われる。敦賀~今庄間複線交流電化新線開業。南今庄駅開業。今庄駅は急行通過駅となる。
- 同時に福井~金沢間はディーゼル機関車牽引となり福井駅が機関車付け替え駅となる。
- 8月1日 安楽寺信号場~石動間複線化。
- 8月10日 福岡~西高岡間複線化。
- 8月29日 小川信号場~泊間複線化。
- 9月15日 倶利伽羅~安楽寺信号場間複線化。安楽寺信号場廃止。
- 9月25日 津幡~倶利伽羅間複線化。
- 9月27日 松梨信号場~寺井間複線化。
- 9月28日 能生~筒石間に百川信号場開設。
- 9月29日 寺井~小舞子間複線化。
- 9月30日 熊坂信号場~大聖寺間複線化。
- 12月10日 粟津~小松間複線化。
- 12月28日 米原~田村間直流電化。
- 1963年4月4日 福井~金沢間交流電化。
- 4月15日 武生~鯖江間複線化。鯖江駅では複線化工事のため1962年1月25日に鯖江~水落間が廃止された福井鉄道鯖浦線のホームが撤去された。
- 7月22日 牛ノ谷~熊坂信号場間複線化。熊坂信号場廃止。
- 9月1日 小舞子~美川間複線化。
- 9月16日 王子保~武生間複線化。
- 9月25日 鯖波(現:南条)~王子保間複線化。
- 9月27日 小松~松梨信号場間、高岡~越中大門間複線化。松梨信号場廃止。
- 9月30日 新設された衣掛隧道ループ線(鳩原ループ線)を上り線として使用開始に伴い新疋田~敦賀間複線化、鳩原信号場廃止。
- 10月1日 本線下り線専用となるため柳ヶ瀬線の疋田~敦賀間休止。バス転換。
- 10月20日 筒石~名立間に西名立信号場開設。
- 1964年5月11日 柳ヶ瀬線 木ノ本~柳ヶ瀬~疋田~敦賀間(26.1km)廃止。
[編集] 高度成長期/昭和40年代前半
- 1965年4月23日 生地~西入善間複線化。
- 1966年3月11日 湯尾~鯖波間複線化。
- 3月16日 森田~春江間複線化。
- 3月18日 加賀笠間~松任間複線化。
- 3月24日 風波信号場~親不知間複線化。風波信号場廃止。
- 6月1日 水橋~上市川信号場間複線化。上市川信号場廃止。
- 8月30日 東滑川~角川信号場間複線化。
- 9月7日 鯖江~北鯖江間複線化。
- 9月13日 北鯖江~大土呂間複線化。
- 9月22日 大聖寺~作見間複線化。
- 9月24日 大土呂~南福井間複線化。
- 9月29日 作見~動橋間複線化。
- 11月25日 西入善~入善間複線化。
- 11月30日 沓掛信号場~新疋田間複線化。沓掛信号場廃止。
- 12月3日 東富山~水橋間複線化。
- 12月15日 親不知~黒岩信号場間複線化。黒岩信号場廃止。
- 1967年5月19日 泊~越中宮崎間複線化。
- 8月22日 滑川~東滑川間複線化。
- 8月29日 小川信号場~泊間複線化。
- 9月20日 入善~小川信号場間複線化。小川信号場廃止。
- 9月29日 越中宮崎~市振間複線化。
- 1968年3月25日 野々市駅(2代)開業。
- 8月9日 魚津~片貝信号場間複線化。
- 9月16日 姫川信号場~糸魚川間複線化。姫川信号場廃止。
- 9月25日 有間川~谷浜間複線化。
- 9月27日 角川信号場~魚津間 複線化。角川信号場廃止。
- 10月1日 越美北線の越前花堂駅に北陸本線ホームを開設。
- 1969年6月4日 糸魚川~梶屋敷間複線化。
[編集] 全線複線電化完成後
- 1970年10月1日 作見駅を加賀温泉駅に改称。大聖寺駅・動橋駅に振り分けていた特急・急行停車を当駅に統合。接続連絡していた北陸鉄道加南線全廃の引き金となる。
- 1972年3月15日 金津駅を芦原温泉駅に改称。3月1日の三国線廃止による。
- 11月6日 北陸トンネル内で急行「きたぐに」食堂車から出火(北陸トンネル火災事故)。30名死亡。
- 1973年4月1日 鯖波駅を南条駅に改称。
- 1975年3月10日 大阪方面発着の特急・急行が一部除き湖西線経由となる。
- 1986年11月1日 貨物支線 富山操車場~蓮町間(4.7km)廃止。
- 1987年4月1日 敦賀~敦賀港間旅客営業廃止。
- 4月1日 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道に承継。日本貨物鉄道が米原~直江津間第二種鉄道事業者、敦賀~敦賀港間の第一種鉄道事業者となる。
- 1988年10月1日 明峰駅開業。
- 1990年3月10日 富山操車場が駅に昇格し(貨)富山貨物駅開業。
- 6月5日 金沢駅付近高架化。
- 1991年9月14日 田村~長浜間を交流電化から直流電化に変更。デッドセクションを田村~坂田間から長浜~虎姫間に変更。
- 2002年10月21日 金沢~森本間の旅客線を並行する貨物線へ統合(-0.1km)。あわせて東金沢駅を移設。
- 11月18日 小松駅付近高架化。
- 2003年6月12日 (貨)金沢貨物ターミナル駅開業。
- 2005年4月18日 福井駅付近高架化。
- 2006年9月24日 長浜~敦賀間を交流電化から直流電化に変更。デッドセクションを北陸トンネル敦賀口付近に変更。
- 2006年10月21日 長浜~敦賀間直流電化正式開業。
[編集] 列車の沿革
北陸本線の列車の沿革については、以下の各項目を参照のこと(それぞれ前身列車も含む)。
[編集] 駅一覧
- 米原駅~長浜駅間については琵琶湖線も参照。
[編集] 廃止区間
名称(駅・信号場などの別含む)は廃止時点のもの。*印はスイッチバック式の駅または信号場。
- 滋賀県
- 木ノ本駅 - 中之郷駅 - 柳ヶ瀬駅 - 雁ヶ谷駅 -
- 福井県
- 富山県
- 貨物支線:富山操車場(現:富山貨物駅) - 蓮町駅(富山港線)
[編集] 新線付け替え区間
- 今庄駅 - 湯尾駅
- 牛ノ谷駅 - 大聖寺駅
- 倶利伽羅駅 - 石動駅
- 市振駅 - 親不知駅 - 青海駅
- 浦本駅 - 能生駅 - 筒石駅 - 名立駅 - 有間川駅
- 有間川駅 - 谷浜駅 - 郷津駅 - 直江津駅
[編集] 接続路線
- 米原駅:東海道新幹線・東海道本線(琵琶湖線)、近江鉄道本線
- 近江塩津駅:湖西線
- 敦賀駅:小浜線
- 武生駅:福井鉄道福武線(武生新駅)
- 越前花堂駅:越美北線
- 福井駅:えちぜん鉄道勝山永平寺線、福井鉄道福武線(福井駅前駅)
- 西金沢駅:北陸鉄道石川線(新西金沢駅)
- 金沢駅:北陸鉄道浅野川線(北鉄金沢駅)
- 津幡駅:七尾線
- 高岡駅:城端線・氷見線、万葉線高岡軌道線(高岡駅前駅)
- 富山駅:高山本線、富山地方鉄道本線(電鉄富山駅)、富山地方鉄道市内軌道線(富山駅前駅)、富山ライトレール富山港線(富山駅北駅)
- 滑川駅:富山地方鉄道本線
- 魚津駅:富山地方鉄道本線(新魚津駅)
- 糸魚川駅:大糸線
- 直江津駅:信越本線、(北越急行ほくほく線 - 犀潟駅~直江津駅間信越本線乗り入れ)
[編集] 過去の接続路線
- 武生駅:福井鉄道南越線(社武生駅)
- 鯖江駅:福井鉄道鯖浦線
- 丸岡駅:京福電気鉄道丸岡線
- 金津駅(現・芦原温泉駅):三国線・京福電気鉄道永平寺線
- 大聖寺駅:北陸鉄道山中線
- 動橋駅:北陸鉄道片山津線、北陸鉄道山代線(新動橋駅)
- 粟津駅:北陸鉄道粟津線(新粟津駅)
- 小松駅:北陸鉄道小松線、尾小屋鉄道(新小松駅)
- 寺井駅:北陸鉄道能美線(新寺井駅)
- 松任駅:北陸鉄道松金線
- 金沢駅:北陸鉄道金沢市内軌道線(金沢駅前駅)、北陸鉄道金石線(中橋駅)
- 東金沢駅:北陸鉄道金沢市内軌道線(東金沢駅前駅)
- 石動駅:加越能鉄道加越線
- 富山駅:富山港線