吉益脩夫
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吉益脩夫(よします しゅうふ、1899年 - 1974年)は、岐阜県大垣市出身の医学者であり心理学者である。犯罪学や精神鑑定など幅広く活用されている犯罪生活曲線の開発者である。
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[編集] 略歴
- 大垣中学校、第六高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学医学部卒業。呉秀三教授門下となり、同大学精神病学教室助手、東京府立松沢病院に勤務。
- 1925年(大正14年)東京帝国大学文学部大学院へ入学し、1931年(昭和6年)同大学大学院心理学専攻卒。在学中、市ヶ谷刑務所精神考査嘱託を始めとし、豊多摩刑務所、小菅刑務所にて犯罪学研究に従事する。
- 1936年(昭和11年)東京帝国大学脳研究室創設に際し、講師任官。同研究室心理学部首班となり遺伝生物学、優生学、犯罪学などの研究に当たる。
- 1932年(昭和17年)医学博士。
- 1945年(昭和20年)東京帝国大学医学部脳研究所助教授。
- 1950年(昭和25年)東京大学法学部講師(併任)として刑事学を担当する。
- 1953年(昭和28年)東京大学文学部講師(併任)。
- 1956年(昭和31年)東京大学医学部脳研究所教授。
- 帝銀事件の平沢被告に対する精神鑑定人を務める。
- 1959年(昭和34年)東京医科歯科大学綜合法医学研究所犯罪心理学部門教授兼任。
- 1965年(昭和40年)定年に伴い退官。
- 1974年(昭和49年)逝去。
[編集] 主な研究業績
[編集] 犯罪生活曲線の研究
吉益脩夫の最大の研究業績は犯罪生活曲線(「犯罪の経過様式に関する研究」刑法雑誌2巻266頁)の開発である。犯罪生活曲線とは、犯罪傾向の類型化に極めて有効な図票のことであり、誰にでも簡単に書き上げることが出来る点も優れているといえる。
縦のラインを3段に分け、最上段を「拘禁生活」、上から2段目を「犯罪」、3段目を「潜在非行」とし、最下段を「通常生活」とし、横のラインに年齢を示す。
23歳で犯罪を犯した場合、23歳に該当する部分の2段目に点を打ち、24歳で確定拘禁された場合に最上段へ点を打つ。26歳で釈放された場合、最下段へ点を打ち、29歳で万引きをした場合3段目に点を打つ。
最終的に、この経過を線で結ぶと、山と谷を描く図形となり、その形によって犯罪傾向を類型化することが可能となる。
[編集] その他の業績
そのほか、優生学の観点から、一卵性双生児に対する犯罪との関連を研究し、日本における優生学研究と犯罪との関連を最初に報告した研究者でもある。
同氏の還暦を祝賀して「犯罪学年報」1~3が5年に亘って刊行される。 みすず書房より刊行の「日本の精神鑑定」(共著)は精神鑑定書の名著。