塙直政
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塙 直政(ばん なおまさ、生年不詳 -1576年5月30日(天正4年5月3日)は、安土桃山時代の武将。織田信長の家臣。 九郎左衛門、備中守。後妻は柴田勝家の娘。1575年(天正3年)に九州の名族である原田姓を下賜され、以降原田備中守を名乗る。
尾張国春日井郡比良村出身。信長の馬廻から赤母衣衆に抜擢され、1568年(永禄11年)の信長入京以降、主に畿内の政務を担当し、蘭奢待下賜の際の御奉行(監督役)を務めた。1574年(天正2年)5月には山城国守護、翌年3月には大和国守護の兼務を命じられるなど、吏僚としての活躍が目立つ。
1574年(天正2年)以降は軍事作戦にも参加し、対本願寺戦や1575年(天正3年)の伊勢長島攻め、越前一向一揆討伐に参加し戦功を立てる。この年の叙任で羽柴秀吉・明智光秀や簗田広正らに混じって備中守に任ぜられ、原田の姓を下賜された。
1576年(天正4年)4月、明智光秀、荒木村重、細川藤孝らとともに石山本願寺攻めに出陣し、主力として三津寺攻略を担当したが、本願寺側の伏兵に遭い乱戦の中討死した。雑賀衆の鈴木重秀の軍に討ち取られたといわれている。この敗戦に怒った信長は、生き残った塙一族や郎党を捕縛し、所領を没収、寄宿を厳禁するなど峻烈な措置をとった。信長はこの敗北で石山攻めの方針を転換し、重臣筆頭格の佐久間信盛に大軍を与えて長期包囲する作戦に切り替えた。