大友親繁
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大友 親繁(おおとも ちかしげ、1411年(応永18年) - 1493年(明応2年))は室町時代・戦国時代の大名。大友氏の第15代当主。大友親著の四男。妻は14代当主・大友親隆(10代当主・大友親世の三男)の娘。第16代当主大友政親、第18代当主大友親治の父。親重・親職から親繁と改名した。正式な名のりは藤原親繁(ふじわら・の・ちかしげ)。
第12代当主の大友持直が幕府に反抗し追討された際には、父親著とともに持直方に味方し、持直の敗北後は姿をくらまし一時逐電した。1444年、8代当主・氏時の子の代から始まった妥協政策の影響で親隆から家督を継いだとされるが、継承時期については、当時の文書に改ざんがあった可能性があるため異説もある。なお、この親繁以後は氏継系が当主を独占した。親繁は大友氏内部の混乱を解決するために家臣団の統制強化や領国の支配強化に務めた。また海外貿易に注目し、李氏朝鮮などに対して積極的に使節を派遣し、莫大な利益を得た。
1476年、長男の大友政親に家督を譲って隠居し、1493年に83歳で没した。
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