大泊町
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大泊町のデータ | |
総人口 | 21,779人 (1941年12月1日) |
大泊町(おおとまりまち)は、樺太庁に属した町であり、町内の楠渓町は江戸時代から明治初頭にかけて久春古丹と呼ばれた。露名はコルサコフである。
ソビエト連邦の南樺太占領後、ソビエト連邦実効支配下で市制施行した。現在はソビエト連邦を引き継ぐロシア連邦の実効支配下にあり、サハリン州に属している。日本政府は南樺太をどの国にも属さない所属未定地域との立場を取っている。
目次 |
[編集] 地理
樺太(サハリン島)の南部亜庭(アニワ)湾沿いにあり、亜庭湾のほぼ中央部奥に位置する。 台地・神楽岡を囲むように広がる市街地北部に楠渓町がある。
[編集] 歴史
- 1679年、松前藩の穴陣屋が久春古丹(大泊町楠渓)に設けられ、日本の漁場としての開拓が始まる。
- 1806年、ロシア海軍士官らが久春古丹を焼き討ちにする。
- 1853年、ロシア軍が久春古丹を襲撃する。
- 1870年2月13日、樺太開拓使が開拓使から分離して、久春古丹に開設される。
- 1905年(明治38年) - コルサコフに樺太民政署が置かれる。
- 1907年(明治40年) - コルサコフに樺太庁が置かれる。
- 1908年(明治41年) - コルサコフより大泊に名称変更。
- 1915年(大正4年) - 樺太町村編制により、大泊町誕生。
- 1923年(大正12年) - 稚泊航路(稚内港駅〜大泊港駅)開設。(稚泊連絡船)
- 1929年(昭和4年) - 樺太町村制により、一級町村となる。
- 1942年(昭和17年) - 大泊支庁が、豊原支庁に統合、以後豊原支庁が管轄する。
- 1943年(昭和18年) - 樺太が内地に編入。
- 1945年(昭和20年) - 8月25日ソ連軍が占領。
- 1946年(昭和21年) - 6月ソ連が大泊よりコルサコフに名称変更。
- 1951年(昭和26年)9月8日 - サンフランシスコ講和条約により、日本が南樺太の領有を放棄する。
[編集] 地域
- 北海道拓殖銀行大泊支店