天明の大飢饉
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天明の大飢饉(てんめいのだいききん、1782年-1788年(天明2年-天明8年))とは、江戸時代天明年間に起きた飢饉。江戸四大飢饉の1つで、日本の近世史上では最大の飢饉。
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[編集] 概要
田沼意次時代の重商主義政策により、農民が都市部へ流出、冷害・多雨と重なり飢饉が起こる。
更に1783年(天明3年)に入ると、3月12日には岩木山が更に7月6日には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせる。 東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定で約2万人)が餓死したと、杉田玄白の著書『後見草』が伝える。
荒廃した農村部を中心に疫病も蔓延し、餓死者と合わせて30万人以上が死亡した。 1787年(天明7年)5月、江戸・大坂で米屋の打ち壊し事件が起こり、その後全国各地へ打ち壊しが広がる。
[編集] 異常気象の原因
1783年、浅間山に先立ちアイスランドのラキ火山が噴火(ラカギガル割れ目噴火)。この噴火は1回の噴出量が桁違いに大きく、おびただしい量の有毒な火山ガスが放出され、成層圏まで上昇した霧は地球の北半分を覆い、地上に達する日射量を減少させ低温化・冷害を生起し、フランス革命の遠因となった。影響は日本にも及び、東北地方で天明の大飢饉を引き起こした。