太祖 (高麗王)
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太祖(たいそ、877年 - 943年)は、初代高麗王(在位:918年 - 943年)。名は王建(ワン・ゴン)。字は若天。高麗国の始祖とされている。
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[編集] 生い立ち
彼は新羅憲康王 3年(西紀 877年) 1月 14日に, 松岳(今の開城)の豪族 王隆の息子に生まれた. 出自には不明な点が多いが<高麗史>には, 彼の先祖である 虎景は白頭山を越えて南側 開城で移住して来た昔の高句麗の大族だったと記録している. 彼のお爺さんと伝わる作製件は韓国西海竜王の娘を妻に迎えて 竜建(王隆建)を生んだという伝説がある. 彼は開城生まれで、半島西南の海岸部で貿易や商業を営んでいた有力豪族の一人だったという説が有力である。王建の父、王隆建(世祖)は、開城を拠点に活動していたと言う。896年、王建は、弓裔に帰属した。
[編集] 王建の台頭
朝鮮半島初の統一王朝である新羅もこの頃になると国力が衰退し、各地で反乱が起こっていた。王建は智勇に優れ、反乱軍の指導者であった弓裔に従い、松岳城主、鉄原太守を歴任し、西南海域の水軍を統率して活躍していた。
しかし弓裔が部下に対して傲慢で乱暴になったため、918年、弓裔の部下である洪儒、裴玄慶、申崇謙、朴智謙等は、弓裔を排除して王建を新たな指導者として擁立した。
[編集] 後三国時代
918年、王建は、松岳郡に遷都し、郡を開州に昇格させ、高句麗の後継者を自称して国号を高麗と定め、年号を天授と定めた。920年、後百済に圧迫されていた新羅の景明王に信書を送り同盟を結ぶことにした。
926年10月、後百済は、新羅の首都である金州を占領し、景哀王は自殺した。後百済は手強く、一進一退の攻防を繰り広げていた。930年から高麗は、反撃に転じ、古昌郡において後百済を大敗させた。933年、後唐に朝貢し、王建は高麗国王に任じられた。934年、後百済は休戦を申し入れ、王建もその気になったが、老将の痩黔弼一人が反対した。王建は、痩黔弼の意見を採用し、後百済軍を打ち破り、熊津以北の地を手中に収めた。
935年、後百済で内紛が発生した。また、同年、新羅最後の王敬順王(金傅)が高麗に帰順した。後百済の内紛に巧みに介入した王建は、936年、遂に朝鮮半島の統一を成し遂げたのである。
[編集] 統一
統一後は、国内の基盤固めに尽力する。王建は、前王朝・新羅の貴族や豪族の多くを家臣として加えることで国内の混乱を最小限に抑え、それらを府・州・郡・県に分けて地方をそれぞれ治めさせた。中央は三省六官、九寺にして中央集権化を確立した。
対外においては遼に滅ぼされた渤海の遺民受け入れや植民に尽力し、国内の復興と発展に努めた。また、中国の王朝に対してはこの頃、五代の王朝に相次いで冊封を行なうことで友好関係を保った。日本の朝廷に対しても2度にわたって使者を送り、友好と通商を求めたが、これは日本側に拒絶されている。
943年、67歳で死去。高麗王朝が400年以上の長きにわたって続いた基礎を築き上げた偉大なる王として、高く評価されている。
[編集] 略年表
- 877年
- 892年北原の梁吉の配下にいた弓裔
- 901年 弓裔 国号を後高句麗とし、自ら国王を称した。
- 909年 弓裔に珍島を奪う。
- 911年 弓裔 後高句麗の国号を泰封に改める。
- 918年 弓裔の部下であった王建、謀反。
- 王建は自ら高句麗人の後孫だと称し、国号を高麗とし、都を開城に定めた。
- 918年 後百済の甄萱は使節を送って和議を結んだ。
- 924年 甄萱(後百済)の子の須弥強、高麗の曹物城を攻める。
- 925年 後百済 高麗和議 人質交換
- 933年 唐、高麗に使を遣わす。これより高麗、唐の正朔を奉じる。(高麗史)
- 927年 甄萱と王建 古昌郡瓶山麓の戦い。王建勝利。
- 935年 新羅の滅亡。新羅の敬順王の娘 王建の妻となる。
- 936年 王建 一善郡一利川の戦いで後百済を殲滅 朝鮮半島の統一
- 942年 契丹、高麗に使を遣わすが、その使を島に流す。(高麗史)
[編集] 太祖の子女一覧
25人の男子と9人の女子が記録上で確認される。これらの関係は近親婚のために複雑であり、詳細な記述は省略する。 王后は高麗大后を見られたい。
- 惠宗(莊和王后 吳氏)
- 定宗(神明太后 劉氏)
- 光宗(神明太后 劉氏)
- 太子泰(神明太后 劉氏)
- 文元大王貞(神明太后 劉氏)
- 證通國師(神明太后 劉氏)
- 戴宗旭(神靜太后 皇甫氏)
- 安宗郁(神成太后 金氏)
- 王位君(貞德王后 柳氏)
- 仁愛君(貞德王后 柳氏)
- 元莊太子(貞德王后 柳氏)
- 助伊君(貞德王后 柳氏)
- 壽命太子(獻穆夫人 平氏)
- 孝穆太子義(東陽院夫人 庚氏)
- 孝隱太子(東陽院夫人 庚氏)
- 元寧太子(肅穆夫人)
- 孝成王子琳珠(天安府院夫人 林氏)
- 孝祇太子(天安府院夫人 林氏)
- 太子稷(興福院夫人 洪氏)
- 廣州院君(小廣州院夫人 王氏)
- 孝悌太子(聖茂夫人 朴氏)
- 孝明太子(聖茂夫人 朴氏)
- 法登君(聖茂夫人 朴氏)
- 資利君(聖茂夫人 朴氏)
- 義城府院君(義成府院夫人 洪氏)
- 安貞淑儀公主(神明太后 劉氏)
- 興芳宮主(神明太后 劉氏)
- 大穆王后(神靜太后 皇甫氏)
- 文惠王后(貞德王后 柳氏)
- 宣義王后(貞德王后 柳氏)
- 公主(貞德王后 柳氏)
- 順安王大妃(貞穆夫人 王氏)
- 公主(興福院夫人 洪氏)
- 公主(聖茂夫人 朴氏)