宇都宮貞綱
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宇都宮 貞綱(うつのみや さだつな、1266年(文永3年) - 1316年8月13日(正和5年7月25日))は鎌倉時代中・後期の武将。正式な名のりは藤原貞綱(ふじわら・の・さだつな)。宇都宮氏第八代当主。宇都宮景綱の子。官位は従五位上三河守。下野守。宇都宮公綱の父。宇都宮泰宗は弟。
弘安4年(1281年)の元寇の弘安の役では執権・北条時宗の命を受けて九州に出陣した。その功績により戦後、引付衆の一人に任じられた。時宗の死後は北条貞時に仕えて嘉元3年(1305年)、反乱を起こした北条宗方を貞時の命を受けて誅殺に協力した。
正和5年(1316年)7月25日、51歳にて死去した。法号は蓮昇。
- 下野宇都宮氏歴代当主
- 1298?~1316
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- 先代:
- 宇都宮景綱
- 次代:
- 宇都宮公綱