富岡八幡宮
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富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、東京都江東区富岡にある東京都最大の八幡神社。
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[編集] 由緒
寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて60,508坪の社有地を得、源氏の氏神である八幡大神を尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受けた。また、町民層にも「深川の八幡様」と親しまれた。
明治から終戦までの社格は、延喜式に記載がないため府社と決して高いものではなかったが、勅祭社(官幣大社のうち特に重視された神社及び別格官幣社の靖国神社)に準ずる准勅祭社に治定され、依然尊崇を受けた。 別当寺院として永代寺があったが、明治維新の神仏分離令によって廃寺。現在の永代寺は、明治29年(1896年)に再建されたものである。
また、敷地内には江戸時代の測量家である伊能忠敬の像がある。伊能忠敬は、当時深川界隈に住居を構え、測量の旅に出かける際は、安全祈願のために、富岡八幡宮に必ずお参りに来ていたことから、2001年に当八幡宮の境内に銅像が建立された。
[編集] 祭神
- 品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇の諡号)他八柱
その他、境内には各地から勧請された末社が計17社におよぶ
[編集] 祭祀等
例祭は、「深川八幡祭」、「深川祭」とも呼ばれ、赤坂の日枝神社の山王祭、神田明神の神田祭とともに「江戸三大祭」の一つに数えられている。 本社一の宮神輿は日本で一番大きい神輿として有名であり、神輿倉に展示されているが、大きさ故に深川祭での担ぎ手を確保することが難しく、通例の祭りでは、一回り小さい本社二の宮神輿が担がれている。
[編集] 相撲とのかかわり
江戸勧進相撲の発祥の地としても知られ、しばしば境内で本場所も開催された。特に明治維新以降、幕府や大名家の加護を失った相撲界が、神道色を鮮明にすることで生き残りをはかったためもあり、結びつきが強まった。現在も新横綱誕生のおりの奉納土俵入りなどの式典が執り行われるほか、相撲にまつわる数々の石碑が建つ。
[編集] 関連項目
- 成田山東京別院深川不動堂(深川不動堂、深川不動尊)