寺子屋
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寺子屋(てらこや)とは、江戸時代に庶民を対象とした教育機関で、浪人 (武士)や僧侶などが町人の子どもに読み書きや算盤を教えた場所である。手習所(塾)とも。
起源は中世の寺院にさかのぼれるとも。商工業の発展や、江戸幕府の文書主義による支配などで教育が必要とされ、農村や都市などに出現し、江戸時代を通じて増加傾向となり、形態も職業的経営に移行した。明治に学制が敷かれると、次第に消滅していく。
しかし、寺子屋による庶民教育により、明治初期における日本の識字率は世界的に見ても高水準にあり、欧米列強によるアジアの植民地化が進む中での日本の驚異的な近代化を支える原動力となった。その証拠に、第一次産業革命で世界の工場と呼ばれたイギリスでは産業資本主義によって子供が安価な労働力とみなされ、教育をおろそかにしたため、第二次産業革命に乗り遅れる形となり、工業先進国の座をアメリカ、ドイツに譲ることとなった。
今日の塾と違い、当時の寺子屋の師匠は往々にして一生の師であることも多かった。寺子屋の生徒を「筆子」といい、師匠が亡くなった時には、筆子が費用を出し合って師匠の墓を作ることは珍しくなかった。そのような墓を「筆子塚」といい、房総半島だけでも3350基以上の筆子塚が確認されている。
なお、関東圏では寺子屋は「手習い指南所」と呼ばれており、これは教わる場所が「こや(小屋に通じる)」では失礼であるという考え方による。
[編集] ユネスコ世界寺子屋運動
寺子屋を世界中に普及させようとしているのが、ユネスコが提唱している世界識字教育運動の1つであるユネスコ世界寺子屋運動(World TERAKOYA Movement)である。
[編集] 関連項目
- 菅原伝授手習鑑 寺子屋を舞台にした「寺子屋の段」が有名。
[編集] 外部リンク
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