小林旭
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小林 旭(こばやし あきら、1938年11月3日 - )は、俳優、歌手である。ニックネームは、マイトガイ。
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[編集] 来歴
1959年公開の「南国土佐を後にして」で脚光を浴びる。
以降「渡り鳥」シリーズ、「旋風児」シリーズに主演。石原裕次郎らとともに日活の黄金時代を築く。
しかし、映画の興行収入が石原裕次郎より上だった時期にもかかわらず、石原裕次郎よりギャラは低かった。これは、石原裕次郎が水ノ江滝子や石原慎太郎といったバックボーンがあり客人扱いだった事、いくら大スターの小林でも元々大部屋出身だった事で子飼い扱いされたためと言われている。
映画の『ギターを持った渡り鳥』『銀座旋風児(ぎんざまいとがい)』など主題歌、挿入歌を歌いヒットさせる。また、『自動車ショー歌』(※2005年に放送されたアサヒビールの《カクテルパートナー》のCMソングはこの【自動車ショー歌】をアレンジした『カクパーショー歌』)、『恋の山手線』などのコミックソング、『昔の名前で出ています』などの演歌も歌う。
歌手の美空ひばりと1962年に結婚、1964年に離婚。
1967年に女優の青山京子と結婚。
実の娘は秋葉原にてメイドマッサージ店を経営している。
映画産業が衰退したこともあり1970年前後には一時低迷したが、1970年代半ばに農業用トラクターのCMに出演して話題となり、『昔の名前で出ています』というヒット曲も生まれて、俳優・歌手として再び脚光を浴びるようになる。
1985年には、大瀧詠一が小林のために書き下ろした(作詞は阿久悠)『熱き心に』がAGFのCMソングとして大ヒットし、2002年には大瀧の企画・監修による4枚組CDが発売された。
2004年には、芸能生活50周年を記念し、石原裕次郎や美空ひばりとのことなど、これまでの人生について赤裸々に綴った本『熱き心に』を出版した。
2006年には、本人をモチーフにしたパチンコ機「CR渡り鳥AKIRA」(藤商事)が登場した。
芸能活動以外にもゴルフ場、自主制作映画などの事業を起こしているが、『失敗→借金→芸能活動で返済』を繰り返し、現在でも自宅は債権者に差し押さえられている。
2006年8月8日の台湾の緯來総合台の放送で林秀珠という元歌手が、以前、歌手の仕事をするために訪日した際、 小林旭に騙されて酒場で働かせられたと告白。
[編集] 主な出演作
[編集] 映画
- 南国土佐を後にして
- 渡り鳥シリーズ
- ギターを持った渡り鳥
- 口笛が流れる港町
- 渡り鳥いつまた帰る
- 赤い夕日の渡り鳥
- 大草原の渡り鳥
- 波涛を越える渡り鳥
- 大海原を行く渡り鳥
- 渡り鳥北へ帰る
- 銀座旋風児シリーズ
- 銀座旋風児
- 銀座旋風児 黒幕は誰だ
- 銀座旋風児 嵐が俺を呼んでいる
- 二階堂卓也銀座無頼帖 帰ってきた旋風児
- 風が呼んでる旋風児 銀座無頼帖
- 仁義なき戦いシリーズ
- 仁義なき戦い 代理戦争
- 仁義なき戦い 頂上作戦
- 仁義なき戦い 完結篇
- 修羅の伝説
- 民暴の帝王
- 修羅の群れ
[編集] テレビドラマ
- 旅がらす事件帖 (1980年 KTV)
- 幻之介世直し帖 (1981年 日本テレビ)