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小比類巻貴之
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基本情報 |
本名 |
小比類巻貴之(こひるいまき たかゆき) |
あだ名 |
コヒ、ミスターストイック |
階級 |
ミドル級(K-1) |
国籍 |
日本国 |
誕生日 |
1977年11月7日 |
出身地 |
日本国、青森県三沢市 |
命日 |
|
死地 |
|
スタイル |
キックボクシング |
プロキックボクシング戦績 |
総試合数 |
48 |
勝ち |
33 |
KO勝ち |
22 |
敗け |
13 |
引き分け |
2 |
無効試合 |
|
小比類巻 貴之(こひるいまき たかゆき、1977年11月7日 - )は、青森県三沢市出身のキックボクサー。極真会館出身で、現在はチームドラゴンに所属。前田憲作(元WKA世界ムエタイスーパーフェザー級王者)が師匠。身長180cm、体重70kg。愛称は“コヒ”で、キャッチコピー(K-1 WORLD MAX出場をきっかけにTBSがつけた)は 「ミスターストイック」。自分からなかなか手を出さない点、劣勢になるとすぐに背中を向けてしまう点などのメンタル面での弱さが課題である。彼自身の素質の高さに関しては認める人間も多く、早期の課題克服が求められている。ストイック・ファイターとして知られるが、バラエティ番組に出演した魔裟斗に「六本木で飲んでいる時バッタリ出会った」事があると暴露された。
[編集] 来歴
- 2000年11月1日、ニール・ウッズ(イギリスWAKO欧州ムエタイウェルター級王者)との王座決定戦で3R0:47 KO勝ち。ISKAオリエンタル世界スーパーウェルター級王座獲得。
- 2002年初めから2003年初めまで黒崎道場という道場に所属する。この道場はトレーナーが存在せず、寮に住み込んで、練習や自分の身の回りの事など、あらゆる事を自分一人で行うというスタイルの道場であった。小比類巻はこの道場で、孤独感と闘いながらひたすら一人で練習していた。また、120キロのパチンコ玉が入ったリュックを背負って歩く、線香の束を自分の腕に押し付ける、高架下の壁をひたすら前蹴りするなどの荒行も行い、自分の殻を破ろうとしていた。しかし、実戦練習の不足から試合での結果は残せず、黒崎道場時代の小比類巻はスランプに陥った。
- ストイックの言葉に見られるように、ライバルである魔裟斗とは対照的に、質素な人間として見られることが多いが、アメリカンバイクに乗り、クラブで遊興するなど現代の若者風の彼のキャラクターがあまり世間に知られていないという一面もある。
- 2004年のK-1 WORLD MAX 日本予選で優勝。決勝トーナメントにまで勝ち進み、初戦でマイク・ザンビディスを下したが、準決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに膝蹴りを喰らい、KO負け。
- 2005年のK-1 WORLD MAX 日本予選で2年連続優勝。決勝トーナメントにまで勝ち進んだが、アンディ・サワーに判定負けをし、初戦敗退となった。
- 2006年のK-1 WORLD MAXでは開幕戦でイム・チビンにKO勝利し、決勝トーナメントでは因縁の相手であった魔裟斗と対戦。ダウンを奪われ判定負けに終わったが、「これからも共に日本を代表として戦っていきたい」とコメントしている為、打倒・魔裟斗という思いは過去より薄れたように見受けられる。
- 2006年のK-1 WORLD MAX 世界王者対抗戦で前年の決勝トーナメントでアンディ・サワーに敗れたためリベンジに挑んだが、クリンチによる減点と、3R終了直前のダウンの影響でリベンジならず返り討ちにされた。
- 2006年9月27日から大阪回生病院(新大阪駅付近)に入院、鼻の手術を受けていたと見られる。もう、おそらく退院しているだろうと思われる。「病室(10階の1010号室)」
[編集] 戦績
- プロキックボクシング(K-1を含む):40戦27勝11敗2分
戦目 |
日付 |
勝敗 |
時間 |
内容 |
対戦相手 |
国籍 |
備考 |
1 |
1997年01月31日 |
勝 |
3R KO |
箱崎雄三 |
日本 |
プロデビュー |
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2 |
1997年05月30日 |
勝 |
3R KO |
魔裟斗 |
日本 |
|
{{{8}}} |
3 |
1997年07月12日 |
勝 |
3R KO |
G.ギアッヌアンヂャン |
タイ |
初国際試合 |
{{{8}}} |
4 |
1997年07月25日 |
勝 |
3R KO |
千葉友浩 |
日本 |
|
{{{8}}} |
5 |
1997年10月26日 |
勝 |
2R TKO |
鈴木達也 |
日本 |
全日本ウェルター王者と対戦 |
{{{8}}} |
6 |
1997年12月21日 |
負 |
4R KO |
新田明臣 |
日本 |
他団体王者との初対戦(及び初敗北) |
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7 |
1998年01月24日 |
勝 |
4R KO |
スワット・ヌヒー |
タイ |
|
{{{8}}} |
8 |
1998年02月28日 |
勝 |
2R KO |
マーク・ブラッケンベリー |
不明 |
|
{{{8}}} |
9 |
1998年04月25日 |
負 |
判定 |
ジョン・ウェイン・パー |
オーストラリア |
|
{{{8}}} |
10 |
1998年09月26日 |
勝 |
判定 |
カリム・スダ |
フランス |
|
{{{8}}} |
11 |
1999年04月16日 |
勝 |
4R TKO |
土井広之 |
日本 |
シュートボクシング王者と対戦 |
{{{8}}} |
16 |
1999年06月01日 |
負 |
判定 |
キム・フン |
韓国 |
J-NETWORKでの最後の試合 |
{{{8}}} |
17 |
1999年10月03日 |
引 |
判定 |
朴英樹 |
日本 |
K-1初参戦 |
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18 |
1999年12月24日 |
勝 |
2R TKO |
東金シャノンF16 |
オーストラリア |
|
{{{8}}} |
19 |
2000年01月25日 |
勝 |
1R TKO |
ラモン・デッカー |
オランダ |
|
{{{8}}} |
20 |
2000年04月29日 |
引 |
判定 |
後藤龍治 |
日本 |
|
{{{8}}} |
21 |
2000年06月03日 |
負 |
5R 判定 |
マリノ・デフローリン |
スイス |
WKAムエタイ世界ミドル級王座挑戦 |
{{{8}}} |
23 |
2000年11月01日 |
勝 |
3R KO |
ニール・ウッズ |
イギリス |
ISKA世界オリエンタルスーパーウェルター級王座決定戦 |
{{{8}}} |
24 |
2000年12月10日 |
勝 |
5R KO |
ウィルフレッド・モンターニュ |
フランス |
K-1 WORLD GP 2000 in 東京 オープニングファイト |
{{{8}}} |
24 |
2001年03月30日 |
勝 |
判定 |
マキシム・グレチキン |
|
|
{{{8}}} |
26 |
2001年04月29日 |
勝 |
3R KO |
サミール・ベルバーチ |
フランス |
K-1 WORLD GP 2001 in 大阪 スーパーファイト |
{{{8}}} |
27 |
2001年11月11日 |
勝 |
4R KO |
ベン・スミューレン |
|
|
{{{8}}} |
29 |
2002年02月11日 |
勝 |
3R KO |
須藤元気 |
日本 |
K-1 WORLD MAX 2002日本代表決定トーナメント1回戦 |
{{{8}}} |
30 |
2002年02月11日 |
勝 |
3R 判定 |
大野崇 |
日本 |
同大会準決勝 |
{{{8}}} |
31 |
2002年02月11日 |
負 |
3R 判定 |
魔裟斗 |
日本 |
同大会決勝戦 |
{{{8}}} |
41 |
2004年02月24日 |
勝 |
3R 判定 |
セルカン・イルマッツ |
トルコ |
K-1 WORLD MAX 2004 日本代表決定トーナメント決勝 |
{{{8}}} |
44 |
2004年07月07日 |
負 |
2R KO |
ブアカーオ・ポー.プラムック |
タイ |
同大会準決勝 |
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[編集] 獲得タイトル
- ISKAオリエンタル世界スーパーウェルター級王座(防衛0度)
- K-1 WORLD MAX 2002日本代表決定トーナメント 準優勝(2002年)
- K-1 WORLD MAX 2002 世界一決定戦 3位(2002年)
- K-1 WORLD MAX 2004 日本代表決定トーナメント 優勝(2004年)
- K-1 WORLD MAX 2004 世界一決定トーナメント 3位(2004年)
- K-1 WORLD MAX 2005 日本代表決定トーナメント 優勝(2005年)
- K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント ベスト8
[編集] 外部リンク