平教盛
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平教盛(たいら の のりもり、大治3年(1128年) - 文治元年3月24日(1185年4月25日))は、平安時代の武将。平忠盛の四男。母は藤原家隆の娘。平清盛の弟。壇ノ浦の合戦で、異母兄の平経盛とともに入水。
[編集] 官歴
※日付=旧暦
- 1148年(久安4)1月28日、左近衛将監に任官し、鳥羽院判官代にも補任。 2月5日、蔵人兼職。 4月26日、従五位下に叙位。蔵人・左近衛将監・鳥羽院判官代如元。
- 1151年(仁平元)2月2日、淡路守に遷任。
- 1153年(仁平3)1月5日、従五位上に昇叙。淡路守如元。
- 1157年(保元2)10月22日、正五位下に昇叙。淡路守如元。
- 1158年(保元3)4月2日、左馬権頭兼任。 12月29日、大和守に転任。左馬権頭如元。
- 1159年(保元4)1月3日、従四位下に昇叙。大和守・左馬権頭如元。 12月27日、越中守に遷任。左馬権頭如元。
- 1160年(永暦元)1月21日、常陸介に遷任。左馬権頭如元。 6月3日、従四位上に昇叙。常陸介・左馬権頭如元。 10月11日、正四位下に昇叙。常陸介・左馬権頭如元。
- 1162年(応保元)9月15日、解官。二条天皇を廃して憲仁親王擁立を図った容疑のため。
- 1163年(応保2)7月17日、正四位下に復位。能登守に任官。
- 1164年(長寛2)2月8日、内蔵頭兼任。
- 1165年(永万元)12月2日、能登守辞任。
- 1166年(仁安元)10月10日、春宮亮兼任。
- 1168年(仁安3)2月19日、春宮亮止む。蔵人頭補任。 8月10日、参議補任。 8月12日、正三位に昇叙。参議如元。
- 1169年(仁安4)1月12日、丹波権守兼任。
- 1174年(承安4)1月21日、丹波権守重任。
- 1178年(治承2)、丹波権守去る。
- 1181年(養和元) 兄清盛没。 12月4日、権中納言に転任。
- 1182年(養和2)3月8日、従二位に昇叙。権中納言如元。
- 1183年(寿永2)4月5日、中納言に転任。 8月6日、解官。