平野佳寿
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平野 佳寿(ひらの よしひさ、1984年3月8日 -)はオリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。背番号16。
最速150km/hの速球と鋭いスライダー、カーブ、フォーク、低目へのコントロールを武器とする先発完投型の本格派投手である。
[編集] 概要
京都府宇治市に生まれる。小学3年時に「小倉リトルズ」という軟式少年野球部から野球を始め、中学時代に投手転向。中学時代は地元中学校の軟式野球部に所属。硬式に進んだのは高校から。鳥羽高校では2度甲子園に出場するが、腰痛もあって2番手投手に甘んじた。京都産業大学では2年生からエースとして活躍し、大学ナンバーワン右腕としての評価を確立する。彼が残した通算36勝、404奪三振は関西六大学リーグの新記録である。
2005年にオリックスに希望枠で入団。入団会見では「10勝以上勝って新人王を獲得したい」と話した。
プロ初先発となった2006年3月30日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦でプロ初勝利をあげ、その次の4月6日の千葉ロッテマリーンズ戦では新人で一番乗りとなる完封勝利を挙げた。ちなみに、前日まで完封勝利を挙げた投手がいなかったため、新人での2006年のシーズン一番乗りとなる完封勝利の可能性があったが、平野がこの日完封勝利を挙げた約9分前に北海道日本ハムファイターズのダルビッシュ有が福岡ソフトバンクホークス戦で完封勝利を挙げたため、シーズン一番乗りの完封勝利は逃した。 ロージンバックを付けすぎてボールが手から離れないでボークを取られた事もある。
その後も長谷川滋利以来の新人3完封勝利を序盤戦にして達成するなど活躍を見せ、北海道日本ハムファイターズの八木智哉とハイレベルな新人王争いを繰り広げていたが、中村監督が完投数で新人王をとらせようとしたために、異常なまでに完投を強いられるハメになる、そのおかげか後半戦からは成績が急激に落ち、新人王争いどころか二桁勝利も遠のいてしまった。(オールスターにはどちらも選ばれた)。 この年、八木、平野とともに83年度生まれでオールスターに選ばれた、同じ京都出身の千葉ロッテ・今江敏晃に高校時代に本塁打を打たれているらしいが、今江は覚えていないかもとの週刊ベースボール誌での平野本人談。
[編集] 略歴
カテゴリ: 日本の野球選手 | オリックス・バファローズの選手 | 1984年生