志賀賢太郎
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志賀賢太郎 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 志賀賢太郎 |
本名 | 志賀賢太郎 |
ニックネーム | 熱血戦士 アニキ パンチ志賀 |
身長 | 187cm |
体重 | 100kg |
誕生日 | 1974年12月6日 |
出身地 | 茨城県勝田市 |
所属 | プロレスリング・ノア |
スポーツ歴 | 柔道 |
トレーナー | ジャイアント馬場 本田多聞 |
デビュー | 1994年2月21日、浅子覚戦 |
志賀賢太郎(しが けんたろう、1974年12月6日 - )は日本のプロレスラーである。プロレスリング・ノア所属。187cm、100kg。茨城県勝田市(現・ひたちなか市)出身。
練習熱心で気が良くきき周りからの評判は良いのだが、100Kg以上が最低ラインともいえるヘビー級レスラーとしては致命的な太りにくい体質を持ち、ステップアップの障害となっていたが、復帰後本人の口から「体質が変わって100kgになった」という話がある。しかし、その性格、顔立ち、そして体格から局地的且つカルト的な人気を持つレスラーでも有る。本田多聞は、プロレス入門では同期にあたる。
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[編集] 略歴
宮城県仙台第一高等学校卒業後に全日本プロレス入り。1994年2月21日に、対浅子覚でプロレスデビューを果たす。2000年、プロレスリング・ノア旗揚げと共に同団体へ移籍。身長が高く将来を嘱望されたが、体重がなかなか増えず伸び悩んだ。2002年、結婚。2003年2月から長期欠場。当初首のヘルニアとされていたが、実際は靭帯骨化症と言う難病であった。
2005年9月18日の日本武道館大会で復帰。第一試合に行われた復帰戦の相手は、同期の本田。復帰を願うファンから贈られた千羽鶴を手に入場したが、自身の必殺技である志賀絞めで敗れた。なおこの復帰戦では、スキンヘッドに黒のロングタイツで登場して、従来からのイメージを大きく変えた。
2005年のクリスマス興行では任侠スタイル(着流しにパンチパーマ、「兄弟船」で入場)で登場。意外と評判が良かったらしく、本人曰く「手入れが楽でよい」ということもあり、2006年開幕戦よりさらなるイメージチェンジを図り、パンチパーマにサングラス、無精髭をたくわえる。同時に「どんどん悪い事をやっていく」と発言し、「まず合宿所の電気つけっ放し、水出しっぱなし」とそのワル具合を語った。また、太田一平を無理矢理パンチパーマにしたほか、泉田純至にもアプローチし続け、パンチにさせることに成功。志賀を「アニキ」、泉田を「叔父貴」とするパンチ軍団を結成した。
GHCヘビー級王座への挑戦権をかけた試合で「自分は長く欠場しているから普通じゃ勝てない。ラフファイトでカバーする」と発言。それとは別の試合では実際にフォークを隠し持って入場し、百田光雄に怒られた。なお、その開幕戦でのサングラスはドンキホーテで980円で買ったものであり、意図してかどうかは不明だが「UVカット」のシールを貼ったまま入場し、秋山準やそれに気付いた一部のファンから失笑と声援を得た。
ただし、コワモテとなった外見とは裏腹に、相変わらず言葉遣いは丁寧で、セコンドに付いている際には試合中のレスラー、観客に気を配る。丸藤正道も「外見と中身が全く違う」と語っている。
ジャイアント馬場の最後の付き人で彼が亡くなるまで、5年間という異例の長さにわたって付き人を務めた。誠実で努力家で気配りが利く、と馬場はたいそう気に入り、決して離そうとはしなかった。秋山準も自身のブログで「新弟子よりも気が利く男」と評価している。そのような「プロレスラーらしからぬ」部分こそ、彼の魅力だとファンは語る。
2006年9月3日、愛知県体育館にてスコーピオから白GHCを奪取。10月20日には広島グリーンアリーナにて川畑輝鎮を相手に初防衛を果たした。
[編集] 悪行
数々の悪行を働いているが、未遂に終わるものも多い。
- NOAH社員(営業部・三井営業主任)の弁当のおかず(卵焼き)を、自慢のフォークで強奪する
- 事務所の冷蔵庫から職員の飲み物を盗み飲もうとする
- 新人の太田一平を無理矢理パンチパーマにした上、太田に「自主的にパンチにした」とマスコミに対し言わせる
- 街頭で配られるティッシュを何度も貰う
- スーパーの試食品を何度も食べ、結局買わない
- 会社のトイレットペーパーを自宅に持って帰る
- 283円の甘栗を、ポイントが貯まるからとカードで買う。
また、メイド喫茶へ行き、パンチパーマと100円ショップで買ったサングラス姿で店内を凍り付かせる事に成功したものの、メイドさんと一緒に楽しめるゲームがビールを注文しないと出来ないと聞き、「昼間から酒を飲む事は出来ない」という真面目な理由で断念した事もある。また、これらの悪行を2006年5月19日・後楽園ホール大会のテレビ中継において、日本テレビの蛯原哲アナウンサーが解説のマイティ井上に説明したところ「あの志賀がですか、信じられませんね」と驚愕された。
[編集] タイトル歴
- GHC(グローバル・ハードコア・クラウン):防衛1回 2006年9月3日にスコーピオから
[編集] 必殺技
- SSS(スパイラル・シガ・シューター)
- 相手を背後からボディスラムの体勢で持ち上げ、旋回させながらDDTのように落とす技。