悪魔払い
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悪魔払い(あくまばらい)は、世界各地に見られるいわゆる悪魔・悪霊・怨霊などがついたとされるときに、それを取り除くために行われる一連の儀式などのことである。エクソシストといわれるものが行うキリスト教のものが一番有名であるが、世界各地で同様の風習が見られる。
かつて、シャーマニズム社会において治療行為の一環として行われていた。しかし、科学的・医学的なものが原因と考えられる場合は、悪魔払いではなく適切な科学的・医学的措置を行うべきである。ただし現代においても、医療が十分でない世界の一部の地域では、一種の治療行為として行なわれていることもある。
現在でもキリスト教のカトリックでは、悪魔払いを認めており、カトリック公認のエクソシストは数百名いるとされる。また、バリや日本など、悪魔払いの儀式として行われてきたものが、現代は古典芸能の一つとして残っていることも多い。
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[編集] 旧約聖書における悪魔払い
アブラハムの宗教であるユダヤ教・イスラム教・キリスト教の共通の聖典である旧約聖書において、悪霊・悪魔を去らせた行為が幾つか伝えられている。
[編集] 攻撃の場合
当人が誰にも危害を加えていないのに一方的に悪魔から攻撃を受けている場合は、いわゆる「悪魔憑き」ではない。
- 解決方法:様々なできごとは、神への忠実さを試すために神から与えられる試練と考え、神を忠実に信じ続ける。
- 救い:悪霊が去る
- 例
- イエスは聖霊に導かれて荒れ野で悪魔の試みにあい、その誘惑に打ち勝ち、悪魔を退けた。
[編集] 憑依の場合
旧約聖書のサムエル記によると、傲慢なサウル王に、悪霊が宿った。
- 解決方法:家臣ダビデが音楽を奏でることによって王サウルの心はやすまって機嫌が良くなった。
- 救い:ダビデの努力によってサウルはいつも上機嫌を保ち、その結果サウルから悪霊が去った。
[編集] キリスト教における悪魔払い
新約聖書の福音書のイエスによると、悪霊に攻撃されたり悪霊が宿ったのは罪があるからではなく、その人は運の悪い被害者にすぎない。
- 祈り:自らを傷つけた存在を含む全てのものに心からの許しを与える場合のみ、祈りは本来の力を発揮する。祈る方法は、表面的な言葉の羅列で時間をかけて祈ることではなく、心から願い求める懇願が有効である。祈る場所は、ドアを閉じた自室でも良いが、司祭・信者数名がともに祈る聖堂などの環境のほうが良い。
- 神に祈る:神への祈りによって、人々を助けることができる。まず、悪霊からの解放などを求める前に、「私は全ての人を許します」と自分自身の信仰を宣言する。次に、過去のその人の実績の羅列などの言葉と、祈りの言葉によって、神にその人の魂の救済を懇願し、救済を願う。
- 神への祈りの中断:祈りの途中や祈りの後で、祈りに対してコメントするなどの声が聞こえた場合は、迅速に神からのものか識別する。司祭によって神からの声と確認・祝福されない場合は、悪霊であることを疑い、全て無視すべき。
- 悪魔・悪霊との対話は、憑依の危険が伴う誰にとっても危険この上ない行為であるため、絶対行うべきでない。
- 断食:食欲という欲望を抑える。
[編集] 識別と対応
カトリックでは、行動・生活習慣・神秘的体験などで悪魔払いの必要性を考える場合、 まずその原因を詳細に究明する。
但し、著名なエクソシストである故カンディド神父から「97%は精神を病んでいるか自然な病をこじらせている。この人たちには医者へ行って頂く」と指摘されている通り、一般に悪魔憑きと考えられがちな兆候(突然人や声が変わったようになるなど)は、気質的・医学的理由など悪魔憑き以外にも見られるもので断定は大変危険である。
- 神秘的な体験:悪魔憑きと断言できない。
- 教育的なもの:悪魔憑きではない。教育によって解決する。
- 気質的なもの:悪魔憑きではない。(例。生来の性格的に怒りやすいなどの場合)
- 医学的なもの:悪魔憑きではない。適切な医学的処置によって解決する。速やかに医学的処置を受けるべきである。
- 上記のいずれでもなく、悪霊・悪魔に攻撃されていると考えられる場合:回心・祈り・断食。
- 回心:本人の回心がなければ、何をしても無効である。
- 心・言葉・行い・環境・生活を完全に悔い改め、完全に清められた魂であるようにする。
- 悪魔につけこまれる罪の生活に陥らないようにする厳しい信仰心。十戒参照。
- 隣人愛の実践。自己犠牲・友愛(悪霊は、ひどい悪口を言うなど人を傷つけることをいとわない利己的な人物を好む)
- 平和(悪霊はトラブルを好む。可能であれば、憎しみ・嫉妬・大罪が渦巻く人・環境に関わることを避ける)
- 善行(「悪霊はそこにいるべきではない」と悪霊に理解させる)
- 節制(七つの大罪(悪、悪口などの罪、食欲・性欲などの欲への執着)を避ける)
- 心の平和(疲労困憊・飲酒などの不安定や意思を弱めやすい精神状態を避ける。悪・罪・欲は、意思の弱さが招く)
- 相手が悪を行っても自らは悪を行わず(悪の行為・悪口は悪魔に属する)、証拠をもって対処を上長に委ねる
- 部屋を清潔に保つ
- カトリックにおける聖水・聖油などの有形の神の聖寵は、本人の回心が伴う場合のみ、効果がある。
- 祈り:ミサは最高の祈り。
- 断食:食欲という欲望を抑えるだけでなく、争おうという欲望を抑え、平和を保つ。
[編集] 洗礼に先立つ悪魔祓い
東方正教会では、洗礼のはじめに行なわれる「啓蒙式」のなかで、教会に学んだカテキズムの仕上げとして悪魔祓い(あくまばらい)をする。奉神礼の定式にしたがって行なう。
洗礼を受ける者(受洗者)は聖堂の聖所の入り口に立って、教会の入り口の方角(西)を向いて両手を挙げ唾を吐き、そして宝座のある方角(東)へ向き直りハリストス(キリスト)との配合(結び付き)を宣言し、信経(信仰箇条)を告白します。
この悪魔祓いを通じて神の方向へ「向き直る(ギリシャ語 μετανοια)」ことが「悔い改め(メタノイア)」の本質であると捉えています。
[編集] キリスト教における民俗学的な悪魔払い
旧約聖書の時代および非キリスト教圏で見られるシャーマニズム・呪術・呪術医などは、キリスト教では不必要で避けるべき行為とされる。
[編集] 科学的見地による悪魔払い
現在科学では人に憑依する様な悪魔は存在しないものと考えられており、悪魔憑きは全て科学的・医学的に説明のつく現象であると考えられている。悪魔憑きと考えられる科学的理由については悪魔憑きを参照されたい。科学的見地による悪魔払いは、すなわち悪魔憑き的現象の原因を取り除くことであり、例えば医学的な疾患の場合は単に疾患の特定とその治療を指す。
カトリックにおける悪魔憑きの判断基準となる兆候は、精神疾患などの他因性の現象にも見られるもので、魔女狩りの例もあるように悪魔によらないものを悪魔憑きと誤認してしまう恐れがあり大変危険である。ある人に異常な振る舞いが見られたら、医療機関に相談することが望ましい。
他方、かつて解離性同一性障害の治療に際し、複数の人格を1つに統合する目的で、意図的に悪魔払いの儀式(交代人格を儀式により自殺させるなど)を行う医師もいたが、現在ではこの方法は患者にかえって悪影響を与える可能性があるとして否定されている。
[編集] 参考文献
- 島村菜津「エクソシストとの対話」小学館
- ラルフ・サーキ「エクソシスト・コップ―NY心霊事件ファイル 」講談社