手代
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手代(てだい)江戸時代中期以降に、郡代・代官などの下役として農政を担当した下級役人である。地方役人(じかたやくにん)のひとつ。全国的にみると、いろいろな呼称、似た役職がある。手付・手附など。
また、江戸幕府の勘定奉行配下の諸奉行(御林奉行・蔵奉行など)の下役にも手代という役職があった。以下では、郡代・代官の下級役人の手代を中心に述べる。
- 江戸時代の商家の奉公人については、番頭の項目を参照。
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[編集] 概要
[編集] 江戸幕府代官所の手代
- 手代は、地方(じかた)に精通した百姓・町人などから選ばれて採用された。江戸幕府の勘定所の正式な許可が必要であった。手代の多くは、村役人・町役人の子弟である。まず、書役として採用され、手代、そして元締手代へと昇進する。
- 優秀な手代は幕臣に登用されることもあった。例えば、岸本就実(きしもとなりよし、通称は武太夫、寛保2年(1742年)7月7日─文化7年(1810年)11月7日)がいる。岸本は、美作国の庄屋の子弟であったが、倉敷代官所の下役として採用され、さらに幕臣に登用された。のちに、下野国藤岡代官所・下野国真岡代官所などの代官となり、天明の飢饉や農村荒廃に疲弊した農村の復興に励んだ。
- 手代の給料は、代官所の諸経費からの支出である。享保10年(1725年)以降は金20両五人扶持である。手代の上役である元締手代になると、金30両五人扶持である。