新海幸藏
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新海 幸藏(しんかい こうぞう、1904年2月29日 - 1976年2月17日)は、大相撲の力士。最高位は関脇。本来この四股名は「あらうみ」と読むがなぜか常に「しんかい」と読まれておりこちらのほうが通りがよいという。四股名の下は「こうぞう」
明治37年2月29日現在の秋田県秋田市に生まれる。本名中野幸藏。
大正10年1月入間川部屋より初土俵、後に出羽海部屋に移籍。昭和2年5月初土俵。幕内上位に上がると負け越して平幕から脱却できなかったが宮城山から金星を3ツ獲得する。昭和7年1月の春秋園事件で脱退。関西相撲連盟主宰のトーナメント戦で優勝も記録する。昭和8年1月幕内格で帰参。昭和9年5月前頭筆頭で7勝4敗と勝ち越して関脇、次の昭和10年1月も6勝5敗と勝越。流石に次は大敗して三役には帰れなかったがそれでも平幕上位に定着していた。
昭和11年春場所初日に前頭2枚目の双葉山を初日に破っている。同場所7日目から双葉山の69連勝は始まっているが、6日目の玉錦の前に双葉に土をつけたのが新海だった。
昭和12年に九州での巡業中に綾川をビール瓶で殴り強制引退処分、年寄荒磯を襲名した。
内掛けを得意にしたが、相手の足にしつこくからみつく「タコ足」であり、相手力士に怪我を負わせることも多く、力士仲間からは嫌われた。昭和26年の廃業後はさまざまな事業に手を出して全て失敗、昭和50年からは生活保護の対象になってしまう。その後家族とも連絡を取らなくなり最後はタバコの不始末で焼け死んだらしい。
寺山修司に彼の晩年を扱った短編小説がある。