日本語の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本語の起源(にほんごのきげん)は言語学上の論点のひとつである。特に西洋の比較言語学が日本にもたらされて以来、日本語学(国語学)上において長く議論が行なわれてきた。
日本語の起源を解明するための方法の一つに、比較言語学の手法がある。比較言語学は、元来印欧語族の起源を明らかにするための学問である。主な手法は、文献資料の精査によって言語間の系統関係を導き出すという方法であるが、文献資料のないオーストロネシア語族に適用しても数多くの業績が出ているので、8世紀頃までのものしか文献資料が見つかっていない日本語にも、ある程度は適用可能と思われる。ただし、比較言語学の手法が印欧語族やオーストロネシア語族に適用できたからといって、それのみで日本語の初期の姿を探り出すには内的再構による以外のアプローチに乏しく、日本語の起源を一つに確定できる可能性は今後も少ないと考えられている。日本語論および日本人論との総合的な協力が必要とされる問題である。
目次 |
[編集] これまでに唱えられた主要な説
日本語を一つの祖語に確定するには諸説あり、元来、自明のものとされてきた「祖語」と言う概念そのものの見直しもある。所謂、混合言語、ピジン・クレオール語、語の形成や生成など近年研究が趨勢を極める分野の当該分野への参入、人文諸科学、DNA人類学や形質人類学等の諸自然科学の知見との総合や協力が可能な分野である。学際研究の必要性が叫ばれる昨今、問題解決の是非はともかくとして、学問として可能性がある。総合科学の挑戦する分野であり、多くの一般人には魅力的な研究であり続けるだろう。以下、これまでに唱えられた主要な説について解説する。
[編集] 日本語アルタイ起源説
「日本語はアルタイ系言語である」という説が定説化しているかのような言説は、啓蒙書などによく見受けられるところであるが、アルタイ語族説の基盤を築いたG. ラムステットと、学説の展開に努めたN. ポッペは、日本語と朝鮮語がアルタイ語族に属するかどうかについて、疑惑を抱いていた事は注目される。
しかし、アルタイ語族仮説を支持する学者のうち、極東アジアの言語の起源に関心を持つ内外の言語学者の多くが、日本語と朝鮮語がアルタイ起源である事を証明しようと多くの努力を払ってきた。その努力は現在も続けられている。S. マーティン(1966年)や、R. ミラー(1967年)などの日本・朝鮮共通祖語の再構の試みは、モンゴル語、古代トルコ語、ツングース語の語形も参照したものであるが、これはアルタイ語族説が正しいという事を前提としたものであった。これに類する最新の試みとしては、ロシアのS. スタロスティンらのものがある(2002年)。日本においては服部四郎、野村正良、池上二良など傑出したアルタイ諸語の研究者が輩出し、彼ら自身は日本語の系統問題には慎重ではあったが、日本語がアルタイ系の言語であるという直感を抱いていたことは著作から伺うことができる。また南島(オーストロネシア)語研究で知られる泉井久之助も、日本語の系統はアルタイ系とみなしていた。
今までに得られた知見を概観すると、研究者間で意見の一致が見られる比較例は、全般的な統語論的特徴(タイポロジー)、いくつかの音韻論的要素、人称・指示代名詞システム、動詞や形容詞の活用形の一部、助詞の一部、高々数十の語彙、にすぎない。無論、より多くの類似を主張する個々の論説が存在するのではあるが、「直感」は未だ証明されていないのが現状である。
意見の一致が見られない根本的な原因のひとつは、そもそも、比較の基礎となるアルタイ語族説の基盤が非常に脆弱なことである。現時点において、信頼できるアルタイ比較文法辞典も語彙辞典も存在しないし、今後も現れる見込みはない(2003年にBrillから"Etymological Dictionary of the Altaic Languages", 3 vols.が出版されている)。アルタイ祖語の音韻の再構については、N. ポッペの説が有力とみなされてきたが、それすらも強力な反論に遭遇して停滞している。アルタイ仮説は破綻したと見る言語学者は多い。
現時点では、アルタイ仮説の拡張(マクロアルタイ説・ユーラシア超語族説・ノストラティック超語族説など)によって日本語(あるいは朝鮮語)の系統の解明が進む可能性は小さいと思われる。その逆に、ツングース諸語・満州語・日本語・朝鮮語に戦線を縮小して比較の精度を上げるという考え方もある。米国のA. ボビン(2003年)などはこれに近い見解のように思われる。この説の課題は、ツングース諸語、朝鮮語の内的再構がどの程度まで可能かどうかである。特に問題となるのは朝鮮語である。現在残された資料のみに基づいて古代朝鮮語を再構できるかどうか、いわゆる「高句麗語の謎」も含め、様々な課題が残されている。
[編集] 日本語・高句麗語同系説
朝鮮最古の歴史書「三国史記」に記された高句麗の故地名の音訓併用表記から推測される、いわゆる「高句麗語」が、日本語と組織的に顕著な類似性を示す事を初めて指摘したのは、新村出である(1916年)。新村は、「三」「五」「七」「十」の4つの数詞が日本語と類似することを指摘したが、日本語アルタイ起源説と関連させてこの類似を更に深く追究したのは、李基文(1961-67年)、村山七郎(1961-1963年)である。最新の論考には板橋義三のものがある(2003年)が、どのような語彙を抽出し、どのような音価を当てるかは論者によって異なる。更に、抽出された語彙の解釈については大きな見解の相違がある。例えば、金芳漢(1985年)は、語彙数を80語とし、ツングース系と解釈されるものは10数語を超えないとするのに対し、板橋は111語を抽出してツングース系語彙は21語とする。また、村山七郎の説(1979年)を継承してオーストロネシア起源の語彙が含まれるとする。
いずれにしても、数詞に加え、「口」「海(ワタ)」「深」「白」「兎」「猪(ゐ)」「谷」などの類似は印象的であり、更に興味深いのは、中期朝鮮語よりも上代日本語との方が、類似語が見出される割合が大きい(板橋氏によれば30%と42%)事である。
残念なことに、古代朝鮮半島から旧南満州における言語分布状況がどのようなものだったかは不明な点が多い。そもそも再構された「高句麗語」が、本当に高句麗の言語だったかについても疑問がある。「魏志東夷伝」や「後漢書」などから推測すると、三世紀後半に鴨緑江以北を本拠地としていた夫余・高句麗の言語がツングース系だった可能性は高いが(村山説: 1979年)、肝心の朝鮮半島北部から中部にかけて、三世紀当時どのような言語が分布していたかについては、「魏志東夷伝」などの「中国史書」には全く言及がないのである(金芳漢: 1985年)。 「高句麗語」が日本語とどのような系統関係にあるかについては、現時点では不明である。
[編集] 日本語・朝鮮語同系説
朝鮮語と日本語の関係についての議論は、日本では江戸時代に遡る古い歴史がある。儒学者の新井白石は、「東雅」(1717年)において、百済語の「熊」=クマ、「海」=ワタを日本語と比べた。19世紀になってからは W. アストン(1879年)や東洋学者の白鳥庫吉(1897年)などにより、語彙を中心とした比較が行われた。比較言語学の手法に基づく初めての本格的な研究は、金沢庄三郎による(1910年)。後にアルタイ比較言語学を前提として、S. マーティン(1966年)や、R. ミラー(1967年)によって、日本・朝鮮共通祖語を再構する試みが行われたが、日本語と朝鮮語の二言語を直接比較して共通祖語を求める手法の有効性は、少なからず疑問視されている。一方で、A. ボビン(2003年)のように、日本語と朝鮮語間でいくつかの文法的要素が一致する事を根拠に、系統的に同一のものと主張される場合もある。ただし、言語比較の上で最も重要視される、基礎的な語彙や音韻体系において決定的に相違する。
[編集] オーストロネシア語起源説(混合語起源説)
オーストロネシア(南島)語族が日本祖語を形成した言語のひとつだったとする説。現在、主流な説は、日本語がアルタイ系言語と南島語の混合語起源とするものであるが、「混合」の定義・プロセスについては、論者の間で見解の相違がある。
日本人の民俗学的、民族学的、人類学的な特徴が混合的なものであることは、古くから指摘されてきた所であるが、言語学者の間では日本語アルタイ起源説が19世紀以来、定説とみなされてきた。 日本語と南方系言語との関係が、昭和初期から中期までは、国語学者などの比較言語学の素養のない非専門家によって論じられた事は興味深い事実である。広辞苑の編纂で知られる国語学者の新村出は、日本語と南方系言語との関係を論じ、「ウルチ(粳)」をインドネシア語の「ブラス」と比較した(1930)。この時期の先駆者として、北里闌(1935: 細菌学者の北里柴三郎の従兄弟)や奥寺将健(1943:国語学者)を挙げる事ができる。また昭和30年代には、日本語学者の大野晋が、日本語の母音の終わりの音韻構造をポリネシア語起源とし、身体語彙にインドネシア語と類似するものが多いと主張した(1957)。この段階における南島語起源説(あるいは関与説)は、門外漢の直感の産物と言える。
オーストロネシア比較言語学は、1938年、ドイツの言語学者、O. デンプウォルフによって基礎が確立された。祖語が明確になった事により、古代日本語と南島諸語の比較を行う前提条件が整ったと言える。例えば上記の「(粳)ウルチ」の例では、現代インドネシア語で「粳」は「ブラス」に類似した発音であるが、祖語に遡ると(不正確な表記であるが)、むしろ「ブハス」に近い発音であった事が明らかになった。またポリネシア諸語の母音終わりの特徴も、子音終わりを許す祖形からの発展である事が証明された。
再構された南島祖語と古代日本語の比較を初めて組織的に行ったのは、言語学者の泉井久之助(1953)である。泉井は約50語を取り上げて音韻対応則の検討を行ったが、日本語と南島語の系統的な関係については懐疑的であり、両者間の類似語の存在は借用によるとみなした。
日本語と南島諸語が系統関係にある可能性を指摘したのは、ロシアの言語学者、E.ポリワーノフである。彼は、日本語の接頭辞が南島諸語起源と考えられる事、日本語のピッチ(高低)アクセントや、重複形による強調表現などがフィリピンのタガログ語やメラネシア語と類似している事などを指摘し、日本語が南島諸語と系統的な関係にあることの証明を試みた(1915-1925)が、1938年、奇しくも南島比較言語学の誕生の年に、スターリン粛清の犠牲者の一人として獄中死した。
これらの先駆者の後に、日本語と南島祖語(諸語)との関係を精力的に追及したのが、村山七郎である。彼は元来、アルタイ比較言語学の立場から日本語系統問題を考究していたが、日本語にはアルタイ起源では説明がつかない語彙があまりに多いという見解に達し、南島語と日本語の比較に注目するようになった。村山の見解によれば、いわゆる基礎語彙の約35%、文法要素の一部が南島語起源であり、このような深い浸透は借用と言えるレベルを超えたものであり、日本語はアルタイ系言語と南島語の混合言語であると主張した(1973-1988)。この見解は、南島言語学の専門家、崎山理や言語学者の板橋義三に継承されている。また、オーストロ・タイ語の研究で世界的に知られるP.ベネディクトは、村山とは異なる独自の観点から日本語とオーストロネシア語の関係について論じた(1985)。
現在、主流の見解は、南島語を基層とし、アルタイ系言語が上層として重なって日本語が形成されたとするものだが、言語学者の川本崇雄は、逆にアルタイ系言語が基層で南島語が上層言語であったと主張する(1990)。 最もラディカルな日本語アルタイ単独起源説を主張する、ロシアの言語学者、S. スタロスティン(2002)ですら、南島語の基礎語彙への浸透を認めていることから分かるように、古代日本語の形成に南島語が重要な役割を演じたことについては、多くの論者が同意している。しかし、それを単なる借用とみなすのか、系統関係の証拠と見るかについては大きな見解の隔たりがある。
この説の最大の争点は、混合言語の存在についてであろう。伝統的な比較言語学は混合言語の存在を認めないが、最近の歴史・比較言語学者、社会言語学者の一部には異なる見解も見られる。この説の可否の判断は、言語学の基礎にも関わる難問である。
[編集] 日本語クレオールタミル語説
日本語学者大野晋は、インド南方やスリランカで用いられているタミル語と日本語との基礎語彙を比較し、タミル語が日本語の起源であると結論づけた。後に大野は系統論を放棄し、日本語はクレオールタミル語であるとする説を唱えた。 しかし大野のこの日本語起源説には賛否両論があり、未だに解決を見ていない。
- 日本語とタミル語との関係に着目していた大野晋は、1981年『日本語とタミル語』(新潮社)を出版し、本格的な研究を公表した。これに対し、比較言語学者の風間喜代三は1983年、『東京大学公開講座 ことば』(東京大学出版会)の「ことばの系統」の項目で、大野の研究手法に対し批判を行った。これにより比較言語学者やタミル語学者を始めとしたほとんどの言語専門家の間で、大野に対する批判的な姿勢が定着した。
- 2000年に出版された大野『日本語の形成』(岩波書店)により、音韻、語彙、文法の三点において、日本語はクレオールタミル語であるという説が提出された。同書は、風間喜代三の語彙対応に関する批判については、摘示の語彙を削除もしくは変更しているが、比較言語学者たちは黙殺した。(なお「批判的検証」と題する著作はあるが、これは大野説を支持する内容のものである。関連書籍参照)。
- 比較言語学者の批判では、大野説の一番大きな欠点は、比較言語学の正統的方法に従っていないということである。特に、歴史性を捨象して時代の整合性にそぐわない単語比較を行っている点が問題である、とする。このため、比較言語学的見地からは、大野説は認められないことになる。とはいえ、日本語がクレオ-ルタミル語であるならば、厳密な意味での比較言語学の対象ではないといえる(すなわち、これはクレオール言語学の問題となる)。なぜならクレオール語であるならば、これは系統論の範疇ではなく、タミル語と日本語との共通祖語を抽出する必要は無いからである。なおまた、時代の整合性をいうならば、アルタイ語説、南島語説なども歴史性を捨象しており、時代の整合性があるのかどうかも全く不分明である。この点、大野説批判は、言語学者などによる「新説に対する強い排他的動機」が働いているという印象も拭えない。
- また、言語学者は、タミル語と日本語間の音韻の複合対応を問題にする。しかしながら、タミル語内部で、例えばa/i、a/u、k/v、v/p、v/m(音価省略)などの交替形が併存する。そうすると、たとえばタミル語ca-に対し、日本語sa-、si-双方の対応が考えられ、またタミル語ka-に対し、日本語ka-、ha-(タミル語va-より日本語*pa->fa->ha-対応)双方の対応が考えられる。同時にタミル語/v/は日本語/w/との対応も考えられる。更には日本語においても「さびしい」と「さみしい」など唇音同士の交替、また「ほどろ」と「はだら」などの交替がある上に、原初の日本語の音韻などを保存していると見られる古代東国方言では「こころ」を「けけれ」と言うなど、活発な交替がみられる。したがって、両語間のこのような内部交替に影響され、タミル語と日本語との対応も、a/o交替が通常なところ、タミル語内部の交替に影響され、i/o対応、u/o対応が見られる。このような一見奔放な内部交替により、両語間の音韻対応も「何でもあり」であるかのような様相を呈しているかのような印象を持つ者がいたとしてもおかしくない。
- とはいえ、たとえばタミル語neriという名詞には[①rule(規則), principle(原理)、②method(方法); means(方法)、③precept(教訓),path of virtue(徳の道)、④religion(宗旨)、⑤pace, as of a horse(<例えば馬のごとき>歩み)、⑥bend(曲がっていること)]という意味があるところ、日本語nor-iにも上記の意味と対応する[①規則。法令。法度、②方法。例・・・「そのマジナイやむる法(ノリ)を定む」(神代紀)、③教化。例・・・「わが風(ノリ)を万国に光(てら)すこと」(継体紀)、④仏法、仏の教え。例・・・「仏にあひ奉りてノリを聞くべし」(宇津保物語)、⑤里程。例・・・「道のノリ5里なり」(日葡辞典)。道の「歩み」5里ということ、⑥伸(の)り(刀の反りのこと)。建築・土木で、垂直を基準にした傾斜の度合。また、その傾斜した面。]という意味がある。タミル語のner-iの意味①~⑥は、日本語nor-iの意味①~⑥に完全に対応するのである。この場合、タミル語-e-はその古形*-a-からa/o対応したと考えられる[田中孝顕「日本語の起源」参照]。
- むろん、これだけでは偶然ということもありうるが、こういうタミル語の多義語と日本語の多義語の間にはまるでそれが転写されたかのような合致が多く認められるのである。更には、意味不明とされる日本の神の名もタミル語によれば、容易に解読できるかのような事例もある。一例を挙げれば、倭迹迹日百襲姫(ヤマト・トト・ヒ・モモソ・ヒメ)は日本語学者の間で、ほとんど語源俗解のような解釈がなされているが、タミル語からみると、(タミル語でツタや蛇瓜の意味を持つ語が日本語では蛇となっている例が多いところから)、田中は「日本語の真実」において、タミル語tatt-an[common snake-gourd(普通の蛇瓜)]も列島内で「ヘビ」を意味したものと考えるのが相当である、とし、またタミル語maimai[worship(崇拝)]は日本語mom-oと対応し、日本語に「ももす」という動詞があったと想定し(上代東国方言では、中央語/u/が/o/と発音される場合があった。この上代東国方言は、元中央語であった音韻を含んでいる可能性があるので上代では「ももそ」となる)、倭迹迹日百襲姫は、ヤマトの「toto(ヘビ)霊を崇拝する姫」と言うことになる、とする。そして事実、倭迹迹日百襲姫は日本神話上、ヤマトの蛇巫(へびふ)とされているので、それにふさわしい神名となる。このような田中の解釈が正しいかどうかは別としても、最低限、クレオールタミル語説を真摯に考究する必要はあるであろう。
- このように、タミル語と日本語との対応には複合対応が必然的に伴なうため、印欧比較言語学の手法をタミル語と日本語との比較に於ける唯一の正統的方法と見る立場を採る限りでは、その視点でタミル語と日本語との比較を見ると、当然、否定的結論に達せざるを得ない。このような事実から我々が留意しなければならないことは、西洋流の比較言語学は、印欧語族以外の言語には当てはまらない場合もある、ということである。
- 例えば高津春繁も「比較言語学入門」(岩波文庫.1992刊)において、印欧語族の比較においては、既に印欧語族にもっともその条件が相似し、ほとんどそのまま印欧比較言語学の方法を取入れることを得たセム・ハム語族の研究においてすら、印欧語族の比較方法をそのまま用いることは無理であるごときことを述べている(p.9参照)。それゆえ、このような認識を真摯に受け入れない限り、あるいは日本語がクレオールタミル語であるという説は、仮にそれが正しい説であっても、西欧の比較言語学が普遍的なものであると確信する学者が主流を占めている限り、大野説は少なくとも比較言語学会においては、排除されるしかないであろう。そういう意味では、比較言語学的アプローチよりも、ピジン・クレオール言語学からのアプローチの方が解を導き出させ易いとも言える。
- 以上のように大野説に対しては賛成・反対の様々な意見がある。前述のように、比較言語学の問題とした場合には問題が出てくるが、クレオール語であるならば、伝統的な比較言語学では対応できない側面もあり、したがって比較言語学からみて批判するというのは的外れと言うことになる。他方、文化的な交流面でのドラヴィダ文化と日本の古代文化の連関を考察している大野の起源論には無視できない面もある。なぜなら、クレオール語であれば、それはクレオール文化と密接にリンクしているからである。
- なお、『日本語の起源 新版』(岩波新書・1994年)で大野晋は、タミル文化圏から日本への文化移入に、理由不明の五百年のタイムラグを伴っていることを示している(同書P.114)。のちになって放射年代測定の結果に対する解釈の混乱が見出され、日本の弥生時代が五百年遡る可能性が出てきた。つまり、大野説が主張していた、農業、宗教祭祀、金属器とそれらに伴う言語・詩歌などの文化が、両地域にほぼ同時期に(一方から他方へ、または別の場所から両者へ)伝えられていた可能性が、歴史学的に示唆されたことになる。
- 2004年、大野晋はそれまでの研究の集成として『弥生文明と南インド』(岩波書店)を著した。この著作は、言語のみならず総合的な文明の移入、朝鮮語を加えた三者の関連といった点を重点に論じている。
- 2006年、大野晋は、未発表ではあるが、タミル人は日本に行くと良質の真珠が採れる、という話を聞き、日本に赴いて真珠を採取し、あるいは日本列島の現地人を用いて真珠を採取せしめた結果、現地でピジン・クレオール語が生じた、と一部に語っている。魏志倭人条にも出てくるように、真珠は日本の特産品でもあった。他方、タミルはギリシャなどとの交易で、香辛料や真珠を販売し利益を上げていた。したがって、これは卓見と言えるかもしれない。
[編集] 日本語の起源・系統研究(ネット上)
など
[編集] 関連項目
各言語・諸語(日本語)
各学問(日本語)
各言語・諸語等(英語)
- w:Altaic languages(アルタイ諸語)
- w:Mongolian languages(モンゴル諸語)
- w:Tungusic languages(ツングース諸語)
- w:Turkic languages(テュルク諸語)
- w:Altai(アルタイ)
- w:Korean language(韓国・朝鮮語)
- w:Japanese language(日本語)
- w:Ryukyuan languages(琉球諸語)
- w:Japonic languages(日本語族)
- w:Austronesian languages(オーストロネシア諸語)
- w:Austroasiatic languages(オーストロアジアンティック諸語)
- w:Nostratic language(ノストラティック超語族)
- w:Language families and languages(語族・諸語)
- w:Creole language(クレオール語)
- w:Pidgin(ピジン語)
- w:Ural-Altaic languages(ウラル・アルタイ諸語)
[編集] 関連人物
- 池上二良
- 泉井久之助
- 板橋義三
- 大野晋
- 崎山理
- 白鳥庫吉
- 新村出
- 服部四郎
- 野村正良
- 松本克己
- ニコラス・ポッペ w:Nicholas Poppe
- エフゲニー・ポリワーノフ
- アレキサンダー・ボビン
- デンプウォルフ
- シューハルト
- ラムステットw:Ramstedt
- サミュエル・E・マーティンw:Samuel E. Martin
- R.ミラー
- S.スタロスティン
[編集] 参考文献・基礎文献
[編集] 基礎文献
- 服部四郎 『日本語の系統』(1959年 単行本もあり)1999年 岩波文庫
- 比較言語学、音声学による系統証明の手続きの厳密さは比類なきものである。「言語年代学」と言うモリス・スワデシュが提唱した理論を批判的に導入した論究があるが、その妥当性は必ずしも高いとは言えず、亀井孝他、多くの言語学者から批判を受けた。
- 村山七郎・大林太良 『日本語の起源』1973年 弘文堂
- 村山氏の文献も多くあるが、この著書は民族学・神話学の泰斗である大林太良との対談となっており読み易い。言語学、神話学、民族学、民俗学など多岐に渡る学問を横断しながら話が進められ、学説史を概観するのにも適している。
以上2冊は絶版。日本の古本屋等で入手可能である。
- 森博達 『日本書紀の謎を解く―述作者は誰か』1999年 中公新書
- 森浩一編 「三世紀倭人語の音韻」(『倭人伝を読む』所収)1985年 中公新書
- 以上の2冊は、古代日本語の音韻の再構という一見地味に見える作業を厳密に行い、推理小説のような知的サスペンスを読むかの如き書物である。
- 大野晋 『日本語はいかにして成立したか』2002年 中央公論社
- 日本語史、ないし日本語の歴史を俯瞰するのには適当である。しかし、概説にも書かれているように、タミル語説の妥当性は少なくとも言語学内ではほとんど認められていない。
- 風間喜代三 「ことばの系統」『東京大学公開講座 ことば』1983年7月 東京大学出版会
- 比較言語学の立場から大野晋のタミル語説を検討し、疑問を呈した論文であり、タミル語説が言語学的観点からどのように問題があるのか、非常に分かりやすく説いている。言語学の立場を代表したものであると言え、タミル語説についての論争を理解するために基本的な知識を提供している。
- 宋敏 『韓国語と日本語のあいだ』1999年 草風館
- 朝鮮語同系説・アルタイ説に関連する文献である。前半部分が非常に詳しく客観的かつ良心的である。
- 国際日本文化研究センター『日本語系統論の現在』 2003年
[編集] 参考文献
- 大野晋 『日本語の起源』岩波書店〈岩波新書〉、1957年
- 金田一春彦 「万葉集の謎は英語でも解ける」『文藝春秋』34巻7号、文芸春秋社、1956年
- 大野晋 『日本語の形成』岩波書店(岩波書店)、2000年
- 田中孝顕『日本語の起源・・・日本語クレオールタミル語説の批判的検証を通した日本神話の研究』、きこ書房、2004年
- 田中孝顕『日本語の真実/タミル語で記紀、万葉集を読み解く』、幻冬舎、2006年