日立造船
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種類 | 株式会社 |
市場情報 | |
略称 | Hitz |
本社所在地 | 559-8559 大阪府大阪市住之江区南港北1丁目7番89号 |
電話番号 | 06-6569-0001 |
設立 | 1934年5月29日 |
業種 | 機械 |
事業内容 | 環境装置・プラント・鉄構・建設機械・原動機 |
資本金 | 35,375百万円(2006年6月30日) |
売上高 | 単独: 196,596百万円(2006年度) 連結: 333,881百万円(2006年度) |
従業員数 | 2,034人(2006年3月31日) |
決算期 | 3月末日 |
関係する人物 | E. H. ハンター(創業者) |
外部リンク | www.hitachizosen.co.jp |
日立造船株式会社(ひたちぞうせん)は、環境装置・プラント・精密機械・産業機械・鉄構・建機などを製造している日本の企業である。
かつての主要事業が造船であったために商号の中に「造船」の文字が含まれるが、2002年にNKK(当時、現・JFEエンジニアリング)との合弁で両社の船舶・海洋部門を切り離して統合した持分法適用会社のユニバーサル造船を設立したことで本社から造船を手放し、2006年には子会社の内海造船の株式を売却したことにともなって2007年度決算からは連結決算においても造船事業が無くなる見通しである。ただ、造船業こそ撤退したような形になっているが船舶用のディーゼルエンジンなどは製造している。また、かつて日立製作所の傘下にあったために「日立」の名を冠した商号となっているが、戦後の財閥解体によって現在では日立グループからは離脱している。もっとも、日立製作所とは完全に縁が切れたわけではなく、日立製作所は2006年3月31日現在で日立造船の第9位の主要株主となっている。「日立造船」という社名からすれば「日立製作所グループの造船会社」だと思われかねないが、その実「日立グループではなく、造船会社でもない」のである。
造船不況の打開策として手掛けた事業の多角化によって、一時期は造船会社のイメージとはかけ離れた杜仲茶の製造や旅行予約ウェブサイト「旅の窓口」の運営を行っていたこともあったが、杜仲茶は小林製薬へ、「旅の窓口」は楽天へ事業売却した。また、子会社に東証二部上場の日立造船富岡機械があったが、今後の事業展開が見込めないとして2004年に通常清算(経営破綻していない会社の資産を売却し残余金を株主に分配し解散させること)している。上場会社の通常清算はきわめて珍しいケースである。ちなみに、日立造船の創業以来の拠点であった桜島工場(大阪市此花区)は、閉鎖された後、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン™の敷地として使用されている。
株式は、東京証券取引所および大阪証券取引所に上場しており(証券コード:7004)、日経平均株価の算出基準となる225銘柄の1つに指定されている。
[編集] 沿革
- 1881年 イギリス人・E. H. ハンター(1843年 - 1917年)により、「大阪鐵工所」(Osaka Iron Works)として創業。
- 1914年 「株式会社大阪鐵工所」に改組。代表者は、E. H. ハンターの子である範多竜太郎(はんた りゅうたろう、1871年 - 1936年)。
- 1930年 日本郵船向け氷川丸型貨客船「平安丸」を建造。
- 1934年 5月29日に現在の日立造船となる存続会社にあたる「株式会社日本産業大阪鐵工所」が新たに発足。7月1日に株式会社大阪鐵工所は日本産業に吸収されて解散。8月1日に日本産業大阪鐵工所は「株式会社大阪鐵工所」に改称。
- 1936年 3月23日に大阪鐵工所の全株式を日立製作所が取得し、同社の傘下に入る。
- 1943年 3月11日に「主力を造船に注ぐため従来の名称ではあらゆる部面で不完全であり、また日立系の旗幟を明確にする」という理由から、商号を「日立造船株式会社」に変更。
- 1946年 12月7日に財閥解体の第2次指定に該当。日立製作所グループから離脱させられることになる。
- 1965年 東洋運搬機(現在のTCM)に資本参加。(ただし、その後2003年に日立建機ローダ(日立建機の子会社)へ持株を譲渡し、現在は資本参加していない。)
- 2002年10月1日 創業以来の中心事業であった造船事業を切り離し、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)と共同で設立した会社「ユニバーサル造船」にその事業を移管。同日、長らく使用していた「OIW」(前述した「Osaka Iron Works」の略)の文字を組み合わせた社章の使用を廃止し、新たに「Hitz」(ヒッツ)を社章として導入。将来的に「Hitz株式会社」に社名変更する予定があるといわれている。