明日の神話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明日の神話(あすのしんわ)は岡本太郎が原爆の炸裂の瞬間をテーマに制作した巨大壁画(縦5.5メートル、横30メートル)。悲惨な体験を乗り越え、再生する人々のたくましさを描いたとされる。大阪万博のシンボルタワー「太陽の塔」に次ぐ、岡本の代表作。
また、それを元にしたオリジナル・ラヴの楽曲。
[編集] 概要
岡本の絵画では最も大きな作品という。岡本はメキシコに建設されるホテルのために制作したが、依頼主の経済的事情で作品の所在は不明となっていた。2003年9月、メキシコ国内の倉庫で発見、岡本のパートナーである岡本敏子が確認作業を行った。2004年10月、岡本太郎記念現代芸術振興財団などが、再生プロジェクトを立ち上げた。修復のため、100個以上に分かれた壁画の断片を日本に空輸、2005年7月から愛媛県東温市で絵画修復の専門家、吉村絵美留らが作業を行い、2006年6月に完了、報道陣に公開された。
修復した壁画は2006年7月8日から8月末まで、東京汐留の日本テレビで一般公開される。展示後、岡本太郎記念現代芸術振興財団は永久保存を望んでおり、「太陽の塔」がある大阪府吹田市をはじめ、被爆地である広島市、長崎市の市民団体が、それぞれ誘致運動を行っている。
[編集] 変遷
- 1967年 - 岡本太郎が「メキシコシティ中心部で建設計画中のホテルに壁画を描いてほしい」と依頼を受ける
- 1968年 - 制作開始。大阪万博の作品と平行して取り組む。岡本は日本とメキシコを何度も往復したという
- 1969年 - ホテルロビーに壁画を仮設置。最終仕上げに入ったが、依頼者の経済状況が悪化し、そのまま放置される。やがて行方不明に
- 2003年 - メキシコシティ郊外の倉庫で発見。パートナーの岡本敏子が真贋を確認
- 2004年 - 岡本太郎記念現代芸術振興財団内に再生プロジェクト事務局が発足。壁画修復が本格的に始動
- 2005年 - メキシコにて壁画を解体・梱包。日本への移送準備が整う。岡本敏子が急逝。7月、愛媛県東温市で修復作業が始まる。
- 2006年 - 6月修復が完了し、報道陣に公開。7月8日、東京汐留で一般公開された。
[編集] 外部リンク
- 岡本太郎美術館
- 明日の神話プロジェクト - 日本テレビ
- 明日の神話再生プロジェクトオフィシャルホームページ - ほぼ日刊イトイ新聞
- 明日の神話を長崎へ
- TARO's Port Hiroshima - 岡本太郎「明日の神話」広島誘致会