李鵬
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李鵬(りほう:Li Peng:1928年10月 - )は、中華人民共和国共産党の政治家。中華人民共和国国務院総理、全国人民代表大会第9代委員長などを務めた。
李鵬の父李硯勛は中国共産党初期の指導者であったが、中国国民党に処刑されたといわれる。周恩来とその妻鄧頴超は他にも多くの養子を養っており、李鵬もその1人であった。義母鄧頴超を後ろ盾として国務院トップまで上り詰めた2世政治家であるが、趙紫陽の後継として母が推した形跡は無い。
天安門事件後守旧派的な経済政策が最高実力者鄧小平に嫌われたため、趙紫陽失脚後に残った政治局常務委員の中でトップでありながら、当時まだ政治局委員と格下だった江沢民(上海市党委書記)の後塵を拝することになり、首相を1998年まで務めた後、全人代委員長にまつり上げられた。
李鵬は国際的なイメージが悪い。主な原因は学生運動を激しく非難した五一九講話であり、また中央軍事委員会主席である鄧小平の命令の下、軍隊を鎮圧に出動させた事が挙げられる。しかし「学生側の要求が度を越しており、李鵬ばかりを責めるのは酷」という意見もある。
[編集] 略歴
- 1928年、上海市に生まれる(原籍:四川省成都市)
- 延安中学、延安自然化学院、張家口工業専門学校、モスクワ動力学院 卒業
- 1945年、中国共産党入党
- 中国共産党中央委員、中央政治局委員、中央政治局常務委員 を歴任
- 1983年、国務院副総理(総理:趙紫陽)
- 1988年、国務院総理、国家経済体制改革委員会主任
- 1989年、総理として来日
- 1998年、全人代にて第9期全人代常務委委員長に選出される。中央政治局常委の委員長も兼任。
- 2002年4月、全人代委員長として来日
- 2002年、委員長を退任。第10期全人代委員長は呉邦国。
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