柳川高等学校
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柳川高等学校 | |
過去の名称 | 福岡県柳河商業学校 福岡県柳河工業学校 柳河商業高等学校 柳川商業高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人柳商学園 |
校訓 | |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | なし |
分校 | なし |
課程 | 全日制の課程 |
二部以上の授業 | なし |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 商業科 普通科 特進科 国際科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒832-0061 |
福岡県柳川市本城町125番地 | |
電話番号 | 0944-73-3333 |
FAX番号 | 0944-73-0575 |
外部リンク | 公式サイト |
柳川高等学校(やながわこうとうがっこう)は、福岡県柳川市にある男女共学の私立高等学校である。運営母体は学校法人柳商学園。柳川城の跡地に校舎(キャンパス)を置く。
野球やテニスの強豪校として知られ、全国高等学校野球選手権大会、全国選抜高等学校テニス大会などに繰り返し出場している。
目次 |
[編集] 沿革
- 1941年(昭和16年)4月:福岡県柳河商業学校の設置が認可され、当時の山門郡柳河町の現在地に設置。
- 1944年(昭和19年)3月:太平洋戦争下の社会事情を踏まえ、福岡県柳河工業学校と改称。
- 1946年(昭和21年)2月:太平洋戦争終結により、福岡県柳河商業学校に再び改称。
- 1947年(昭和22年)4月:柳河中学校を併置。
- 1948年(昭和23年)3月:運営法人名を財団法人橘蔭学園に変更。学制改革により福岡県柳河商業学校を新制高等学校に改組し、柳河商業高等学校に改称。
- 1951年(昭和26年)3月:運営法人を私立学校法に基づく学校法人に改組し、学校法人橘蔭学園に改称。
- 1951年(昭和26年)4月:柳河町が市町村合併により柳川町に改称されたのを受けて、柳河商業高等学校と柳河中学校を柳川商業高等学校・柳川中学校に改称。
- 1952年(昭和27年)4月:柳川中学校の生徒募集を停止。
- 1961年(昭和36年)10月:柳川高等経理学校、柳川中学校を廃止。
- 1962年(昭和37年)5月:校歌制定(伊馬春部作詞、高木東六作曲)。
- 1963年(昭和38年)4月:経営科を設置し、商業科・経営科の2科とする。
- 1968年(昭和43年)4月:普通科を設置し、商業科・経営科・普通科の3科とする。
- 1971年(昭和46年)4月:経営科を廃止し、商業科・普通科の2科とする。
- 1980年(昭和55年)1月:校名を柳川商業高等学校から現校名に改称した。
- 1980年(昭和55年)5月:全国初の中国研修旅行を実施。
- 1994年(平成6年)4月:普通科内にICC国際教育コースを設置。
- 1995年(平成7年)4月:ICC国際教育コースを学科とし、国際科を設置。
- 2001年(平成13年)11月2日:マイクロソフト認定アカデミックトレーニングセンターを開設。
- 2005年(平成17年)1月11日:早稲田大学大学院情報生産システム研究科と教育支援に関する提携。
[編集] 教育組織
- 商業科
- 普通科
- 特進科
- 国際科
[編集] 通学手段など
[編集] 著名な卒業生
- 阿武教子(平成6年卒・警視庁、アテネ五輪柔道金メダリスト、シドニー五輪柔道78kg級)
- 岡幸二郎(昭和61年卒・ミュージカル俳優)
- 香月良太(平成13年卒・東芝硬式野球部→大阪近鉄バファローズに入団、現オリックス・バファローズ選手)
- 川口憲史(平成7年卒・大阪近鉄バファローズに入団、現東北楽天ゴールデンイーグルス選手)
- 久保康生(昭和52年卒・元大阪近鉄バファローズ選手、現阪神タイガース投手コーチ)
- 古賀潤一郎(昭和51年卒・元衆議院議員)
- 権藤正利(昭和28年卒・元大洋ホエールズ・阪神タイガース選手)
- 高杢禎彦(昭和55年卒・元「チェッカーズ」メンバー)
- 立花義家(昭和52年卒・元西武ライオンズ選手、現西武ライオンズ打撃コーチ)
- 田中瑞季(平成10年卒・千葉ロッテマリーンズ選手【平成11年ドラフト指名時は福岡ダイエーホークス】)
- 花田真人(平成8年卒・東京ヤクルトスワローズ選手【平成11年ドラフト指名】)
- 馬場敏史(昭和58年卒・元ヤクルトスワローズ選手、現東京ヤクルトスワローズコーチ)
- 福井烈(昭和51年卒・プロテニスプレイヤー)
- 松岡修造(昭和59年転入、翌年米国留学・プロテニスプレイヤー)
- 真弓明信(昭和47年卒・元阪神タイガース選手)
- 林威助 (平成11年卒・阪神タイガース選手)
- 若菜嘉晴(昭和47年卒・元福岡ダイエーホークスコーチ、01年退団)