栃木県立真岡高等学校
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栃木県立真岡高等学校 | |
過去の名称 | 栃木県第三中学校 栃木県立真岡中学校 栃木県真岡高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 (都道府県立) |
設置者 | 栃木県(教育委員会) |
併合学校 | なし |
設立年月日 | 1900年(明治33年)4月?日 |
校訓 | 至誠 |
創立記念日 | 4月?日 |
共学・別学 | 全日制は男子のみ |
中高一貫教育 | 併設型・連携型ともになし |
教育課程の特例 | 行政指定なし |
課程 | 全日制と定時制の課程を併設 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科 |
学科内専門コース | なし |
専攻科 | なし |
別科 | なし |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒321-4331 |
栃木県真岡市白布ヶ丘24番地1 | |
電話番号 | 0285-82-3413 |
FAX番号 | 0285-82-2913 |
最寄駅 | 真岡鐵道 真岡駅より徒歩3分 |
外部リンク | 栃木県立真岡高等学校 |
栃木県立真岡高等学校(とちぎけんりつもおかこうとうがっこう)は、栃木県真岡市にある県立の高等学校で、略称は・真高(もおたか)。男子校であるが、定時制は男女共学になっている。旧制栃木三中として創立されて以来3世紀にわたる歴史と伝統を有する芳賀学区のトップ校で、県下有数の進学校。また、部活動においては、サッカー全国選手権に県内最多の11回(2006年末時点)の出場を誇る全国大会常連の県随一のサッカー強豪校でもあり、2006年には、インターハイにて、全国大会過去最高タイ記録となるベスト4進出を果たした。
旧本館は国の登録有形文化財で、現在は記念館として使用されている。
目次 |
[編集] 概要
- 設置学科
- 全日制課程 普通科(男子)
- 定時制課程 普通科(共学)
- 所在地 栃木県真岡市白布ケ丘24-1
[編集] 沿革
- 1900年(明治33年)4月 - 栃木県第三中学校として開校。
- 1901年(明治34年)5月 - 栃木県立真岡中学校と改称。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、栃木県真岡高等学校となる。
- 1951年(昭和26年)4月 - 栃木県立真岡高等学校となる。
[編集] 校訓
至誠(意義は「人を欺かず、また己を欺かず、自己の良心を尊び、善と信ずることは必ず実行する」ということ。)
[編集] 校歌
昭和初期にそれまでの校歌に代わって制定されて以来、戦後の学制改革により校名が変わっても改訂無しに連綿と歌い継がれている。栃木県内において、旧制中学時代の校歌をそのまま歌い続けているのは、真岡高校のみである。
- 作詞 不明
- 作曲 弘田竜太郎
- 一、朝日直差す白布ヶ丘に
- 健児我等は今日もまた
- 古き歴史に新しき
- 光添えなん
- 誓いは固し至誠の碑
- 誇りは永劫 若人我等
- 二、行手遥けき清流鬼怒の
- 健児我等にささやくは
- 日夜不断の旅行かば
- 道はひらけん
- 天地は広し満つる幸
- 歓喜は永劫 若人我等
- 三、夕陽照りそう筑波の峯は
- 健児我等が明日もまた
- たかき理想のしるしとて
- 仰ぐたかねぞ
- きらめき早し星の影
- 希望は永劫 若人我等
[編集] 学区
芳賀学区
学区内の人口はおよそ15万人であり、県内で最も人口の少ない学区である。県内他学区からは定員の25%まで入学が認められている他、「隣接県公立高等学校入学志願者取扱協定」により茨城県第5通学区からも定員の15%以内で入学が認められている。入学者の多くを占める学区内の生徒については、芳賀地区は宇都宮方面への交通が不便であり、県内トップ校である宇都宮高校への進学者が皆無に近いことから、学区内各中学校のトップ層が志望することになり、見かけ上の偏差値に比して優秀な生徒を集めることができている反面、上位層と下位層では入学時点でかなりの学力差が生じることとなっている。また、学区外からの入学者については、本校は真岡鐵道で結ばれている近隣の茨城県筑西市のトップ校である茨城県立下館第一高等学校と比較して進学実績が高いため、栃木県寄りの同市北部から優秀層が越境入学してくることがある他は、宇都宮高校をはじめ他学区の高校に学力的に届かない生徒や強豪である本校でサッカーをしたい生徒が集まる傾向にあるため、学区内の上位層と比較して学力的に見劣りするのは否めない。
[編集] 主な出身者
- ピストン堀口 - 故人、プロボクサー(昭和初期における日本ボクシング界の象徴的存在で「拳聖」と呼ばれた。元日本フェザー級・東洋フェザー級および日本ミドル級チャンピオン)、早稲田大学中退
- 豊田計 - 元全国農業協同組合中央会(全中)会長
- 神田厚 - 元衆議院議員、元防衛庁長官、民社党→民主党、早稲田大学文学部卒
- 岩崎純三 - 故人、元真岡市長・参議院議員・総務庁長官、自民党、日本大学卒
- 国井正幸 - 参議院議員、自民党、立命館大学文学部卒
- 日下田實 - ヒマラヤ山脈マナスル世界初登頂(第2次登頂)、元栃木県教育委員長、早稲田大学政治経済学部卒業
- 生井良一 - 全盲の大学教授、嘉悦大学教授、東京工業大学大学院博士課程修了
- 久保野茂 - 東京大学理学系研究科教授(原子核物理・宇宙核物理)
- 野澤一郎 - 故人、巴組鐵工所(現在の巴コーポレーション)創業者、立体構造建築「ダイヤモンドトラス」を開発。なお同氏の寄付により本校内に財団法人野澤一郎育英会が設立され、保有する巴コーポレーション株の配当を元に奨学金給付事業を行っている。
- 上野優作 - サッカー選手(アビスパ福岡→サンフレッチェ広島→京都パープルサンガ→アルビレックス新潟→サンフレッチェ広島)、筑波大学卒
- 関俊彦 - 声優、駒澤大学卒
- 只木章広 - サッカー選手(栃木SC)、順天堂大学卒
- 種倉寛 - サッカー選手(栃木SC)、日本大学卒
- 堀田利明 - サッカー選手(水戸ホーリーホック→真岡クラブ→栃木SC)、順天堂大学卒