榎下城
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榎下城遠景 | |
通称 |
久保城 |
城郭構造 |
連郭式平山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
上杉憲清 |
築城年 |
永享年間か |
主な改修者 | |
主な城主 |
上杉憲清、上杉憲直、北条氏 |
廃城年 |
不明 |
遺構 |
堀、土塁 |
目次 |
[編集] 概要
榎下城は恩田川氾濫原に面した舌状に突き出した丘陵の先端に占地し、近辺の眺望に優れる。
憲房系の憲清により築かれたと伝わり、永享の乱の際には、憲清の子憲直が持氏方として拠った。幕府方に攻められた憲直は榎下城から退いたが、上杉憲実方に追われ称名寺において子の憲家と共に自害した。
慶長10年(1605年)城域に刈谷氏が隠居所を建て、更に旧城寺を開基した。この為城域は比較的良く保存され、土塁上の寺林は県の天然記念物に指定されている。