沖永良部島
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沖永良部島(おきのえらぶじま)は奄美諸島の南西部に位置する島。鹿児島県大島郡に属し、島内には和泊町と知名町がある。沖縄本島の少し北、北緯27度東経128度付近に位置する。
「おきのえらぶ(じま)」が正しいが、 現地では「おきえらぶ」での表記や施設名も多く、会話の上では単に「えらぶ」と呼ぶ場合が多い。
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[編集] 地形
西側を底辺とした東西に細長い二等辺三角形で、東西約20km・西辺の南北が約10km、面積94.5km²。南北に伸びる琉球海溝の西側に連なる南西諸島に属する。
[編集] 石灰岩の島
隆起性サンゴ礁の島で全島ほとんどがサンゴを起源とする石灰岩で出来ている。島の西部に最高地点の大山(標高246m)があり、その周辺はドリーネが発達したカルスト地形となっている。地下には多数の鍾乳洞が存在する。その中でも一般公開されている昇竜洞は規模が大きく、山口県の秋芳洞などに比べても洞窟の広さや鍾乳石の美しさにおいて引けを取らない。
[編集] サンゴ礁
島の周辺はサンゴ礁となっている。ウジジ浜や屋子母(やこも)海岸には真っ白な砂浜があるが、島が隆起し続けているので大規模な砂浜は少なくサンゴ礁の磯や断崖が多い。石灰岩の岩場が波浪の浸食を受けた海食洞窟のフーチャは、波の荒い時には洞窟から波しぶきを吹き上げる。また田皆崎は石灰岩の絶壁上に平らな台地がある。
[編集] 気候と植生
温暖な亜熱帯性気候で年間平均気温は22℃。年間降水量は約2000mmと多目だがこれは梅雨と台風の影響で、実際には晴天の日が多い。ガジュマルやアダンといった南国風の樹木が茂る。和泊町の国頭小学校には根回り8mに達する日本一のガジュマルの木がある。サンゴの美しい海岸にはアダンが多く、とがった葉と曲がりくねった幹にパイナップルに似たオレンジ色の実が映えていかにも南国らしい。なお沖縄や奄美諸島で恐れられている毒蛇のハブは生息していない。
サンゴ礁の海岸の岩場に住むエラブウミヘビは、ハブの10倍と言われるほど強い毒を持つヘビ。体長約1mで青い地色に褐色の太い横帯がある。性質がおとなしく被害が出たことはほとんど無い。沖縄や奄美群島では『イラブー』と呼んで燻製にして食べる。
[編集] 歴史
沖永良部島は中世以来、周辺の大勢力の支配を受けてきた。
- 1266年この年から、琉球の北山王朝に属す。
- 1609年薩摩藩の侵攻により薩摩の直轄領となる。薩摩藩はこの島にサトウキビの栽培を命じた。
- 薩摩藩の直轄領時代は、極刑の流刑地。
江戸時代末期には島津久光に疎まれた西郷隆盛が流されて1年7ヶ月滞在した。 - 1871年廃藩置県により鹿児島県となる。
- 1908年和泊村と知名村(現在の和泊町と知名町)が成立。
- 1946年敗戦により周辺の奄美諸島と共にアメリカの軍政下に入る。
- 1953年日本に復帰。
- 1977年台風9号(沖永良部台風)が直撃。日本の陸上における最低気圧907.3ヘクトパスカルを記録した。
[編集] 産業
温暖な気候と適度な降雨は農業に適している。島には赤土の畑が広がっており、ジャガイモやサトウキビの他、特産のテッポウユリ(エラブユリ)やフリージアなどの球根栽培、グラジオラスなどの花卉栽培などが盛ん。3月~4月に島を訪れると、真っ白に咲いたエラブユリの畑や黄色いフリージアの花畑から芳香が漂ってくる。エラブ牛を飼育する畜産業も盛ん。これらの産業がしっかりしているので観光客の誘致にはそれほど熱心ではなく、隣の与論島に比べて知名度が低い。
サトウキビを絞って作った黒糖から島特産の黒糖焼酎が作られる。クセの少ない口当たりの良い焼酎である。
[編集] 交通
[編集] 航空路
島の東部に沖永良部空港があり、プロペラ機(2006年10月現在:SAAB/Dash8)が鹿児島、奄美大島、与論島へ飛んでいる。ちなみに、2006年9月30日に国産旅客機YS-11のラストフライトは沖永良部ー鹿児島間だった。
[編集] 航路
鹿児島と大阪を始発とする那覇行きのフェリーボートが和泊港へ寄港する。
[編集] 放送
テレビ・ラジオ共に鹿児島・沖縄両方の放送局の受信が可能。ラジオは沖縄の放送局のほうがややクリアに受信ができる。