浄土真宗東本願寺派
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浄土真宗東本願寺派(じょうどしんしゅうひがしほんがんじは)は,真宗大谷派(末寺数約9,000)から独立した浄土真宗の一派。全国独立寺院の三百数十ヶ寺からなる。本山は東京都台東区の本山東本願寺。
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[編集] 歴史
1969年(昭和44年)、本願寺と包括関係にあった真宗大谷派内部において、教義上の解釈をめぐって紛争が発生した(お東騒動)。
第24代門主(法主)大谷光暢(闡如)は、本願寺の法統を守るためとして真宗大谷派との包括関係を解いて京都の本願寺を独立させようとし、同時に全国の別院末寺にも独立をするよう呼びかけた。これを受けて光暢の長男、大谷光紹(興如)は、自身が住職をしていた真宗大谷派浅草別院・浅草門跡(東京本願寺)の独立を進めた。一方、改革派は、1981年(昭和56年)、宗憲を変更、1987年(昭和62年)、「宗本一体」をかかげて、それまで真宗大谷派と包括・被包括の関係にあった宗教法人としての「本願寺」を法的に解散し、派の象徴として門首を設けた(この後、京都の東本願寺の正式名称は、「真宗本廟」となる)。
東京本願寺は、1981年(昭和56年)6月15日、東京都知事の認証を得て真宗大谷派から独立し、1988年(昭和63年)2月29日、光紹は第25代法主の継承を宣言、同時に東京本願寺を本山とした。全国独立寺院の三百数十ヶ寺からなる「浄土真宗東本願寺派」を結成した。
光紹亡き後の法統は、その長男である大谷光見(聞如)へと受け継がれた。1996年(平成8年)には「宗規」と「憲章」を定め、「末寺」制度を設けた。また、本山東京本願寺の寺院規則の変更が2001年(平成13年)4月26日付で認証され、名称が「東京本願寺」より「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」に変更となった。
[編集] 歴代法主
- 親鸞 (1173~1262)
- 如信 (1235~1300)
- 覚如 (1270~1351)
- 善如 (1333~1389)
- 綽如 (1350~1393)
- 巧如 (1376~1440)
- 存如 (1396~1457)
- 蓮如 (1415~1499)
- 実如 (1458~1525)
- 証如 (1516~1554)
- 顕如 (1543~1592)
- 教如 (1558~1614)
- 宣如 (1604~1658)
- 琢如 (1625~1671〈1664譲〉)
- 常如 (1641~1694〈1679譲〉)
- 一如 (1649~1700)
- 真如 (1682~1744)
- 従如 (1720~1760)
- 乗如 (1744~1792)
- 達如 (1780~1865〈1846譲〉)
- 厳如 (1817~1894〈1889譲〉)
- 現如 (1852~1923〈1908譲〉)
- 彰如 (1975~1943〈1925譲〉)
- 闡如 (1903~1993)
- 興如 (1925~1999)
- 聞如 (1965~)