海軍省
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海軍省 (かいぐんしょう)とは、日本海軍の軍政機関である。軍令は天皇直属の軍令部が担当する。
太政官布告第62号により、1872年2月に兵部省から独立。初期は軍政・軍令が未分化のところもあったが、大日本帝国憲法で整理される。軍令は86年発足の参謀本部が吸収し、93年には海軍軍令部が最高機関として設置され、軍令を管轄する。軍務局を中心に海軍政策、軍備、人事や教育などを行った。
海軍省は内閣の省であり、長は海軍大臣で、天皇によって任命された。海軍大臣の職務は海軍軍人の監督など海軍軍政の管理であり軍令権は持たない。また、大臣は現役の海軍大将又は中将が任命された。なお、軍縮会議などで海軍大臣が長期間日本国内にいない場合は内閣総理大臣による兼任や、臨時の海軍大臣を設けた。
1945年11月30日の勅令第680号を以て廃止され、第二復員省となった。第二復員省は1946年6月に廃止された。現在、海軍省の残務処理は陸軍省と同様、厚生労働省により、行われている。
目次 |
[編集] 太政官政府
[編集] 海軍大臣
補職日 | 首相 | 氏名 | 備考 |
1885年(明治18年)12月22日 | 伊藤博文(第1次) | 西郷従道 | 内閣官制が定められ海軍省の長が海軍大臣(国務大臣)となる。 |
明治19年7月10日 | 伊藤博文(第1次) | 大山巌 | |
明治20年7月1日 | 伊藤博文(第1次) | 西郷従道 | |
明治23年5月17日 | 山県有朋(第1次) | 樺山資紀 | |
明治25年8月8日 | 伊藤博文(第2次) | 仁礼景範 | |
明治26年3月11日 | 伊藤博文(第2次) | 西郷従道 | |
明治31年11月8日 | 山県有朋(第2次) | 山本権兵衛 | |
明治39年1月7日 | 西園寺公望(第1次) | 斎藤実 | |
大正3年4月16日 | 大隈重信(第2次) | 八代六郎 | |
大正4年8月10日 | 大隈重信(第2次) | 加藤友三郎 | |
大正12年5月15日 | 加藤友三郎 | 財部彪 | |
大正13年1月7日 | 清浦奎吾 | 村上格一 | |
大正13年6月11日 | 加藤高明 | 財部彪 | |
昭和2年4月20日 | 田中義一 | 岡田啓介 | |
昭和4年7月2日 | 浜口雄幸 | 財部彪 | |
昭和5年10月3日 | 浜口雄幸 | 安保清種 | |
昭和6年12月13日 | 犬養毅 | 大角岑生 | |
昭和7年5月26日 | 斎藤実 | 岡田啓介 | |
昭和8年1月9日 | 斎藤実 | 大角岑生 | |
昭和11年3月9日 | 広田弘毅 | 永野修身 | |
昭和12年2月2日 | 林銑十郎 | 米内光政 | |
昭和14年8月30日 | 阿部信行 | 吉田善吾 | |
昭和15年9月5日 | 近衛文麿(第2次) | 及川古志郎 | |
昭和16年10月18日 | 東条英機 | 嶋田繁太郎 | |
昭和19年7月17日 | 東条英機 | 野村直邦 | |
昭和19年7月22日 | 小磯国昭 | 米内光政 |
[編集] 内部部局
- 軍務局
- 兵備局
- 軍需局
- 人事局
- 教育局
- 経理局
- 医務局
- 施設局
- 法務局
なお、海軍省の各局の中で最も重要なポストは軍務局長であった。
[編集] 海軍大臣に隷属する機関(海軍省外局)
- 海軍将官会議
- 海軍技術会議
- 海軍艦政本部
- 海軍航空本部
- 水路部
- 海軍高等軍法会議
- 海軍東京軍法会議
- 海軍大学校
- 海軍兵学校
- 海軍機関学校(1944年兵学校へ統合により廃止)
- 海軍経理学校
- 海軍軍医学校
- 潜水艦部
- 特攻部
- 電波本部
- 化兵戦部
- 運輸本部
- 緊急戦備促進部
- 船舶救難本部
- 練習連合航空総隊