清原真衡
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清原真衡(きよはら の さねひら、? - 永保3年(1083年))は、平安時代後期の武将。奥州の豪族 清原武貞の子。延久年間に行われた延久蝦夷合戦などで活躍し鎮守府将軍従五位下であったとの史料がある貞衡と同一人物であるとの有力説がある。
武貞の死後清原氏を嗣ぎ、出羽国の国司であった平氏の一門、平安忠の次男と言われる成衡を養子に迎え、その成衡に源氏棟梁 源頼義の女を嫁がせることで清原氏の家格を高め、武家として確立させようとしたと見られている。そのために棟梁の専制を激しくし、一族の家人化を進めたため、叔父吉彦秀武や弟清衡、家衡の離反を招き、その争い(後三年の役)の最中に急死した。