清水聖義
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清水 聖義(しみず まさよし、1941年12月7日 - )は群馬県太田市の市長であり、元群馬県議。他にはぐんま国際アカデミー理事長と株式会社太田国際貨物ターミナル代表取締役社長も兼務している。
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[編集] 学歴・経歴
1941年12月7日、群馬県太田市出身。 群馬県立太田高等学校→慶應義塾大学商学部卒。太田市議会議員(1期)・群馬県議会議員(3期)を経て1993年総選挙に日本新党公認で出馬(落選)。1995年に前任の戸澤久夫に大差で勝利し、群馬県太田市長(旧太田市)に当選。2005年3月28日に旧太田市、新田郡新田町、尾島町、藪塚本町が合併し、「太田市」が発足したため、市長を退いたが、4月17日の「新・太田市長選」で激戦を征し、新・太田市の初代市長になり、清水氏は21日ぶりに太田市長として復帰したことになる。(4月18日に初登庁。)
近年の太田市の国際都市化を計ってぐんま国際アカデミーを設立し、理事長に就任する。
[編集] エピソード
1995年に太田市長に就任した清水氏は、選挙公約に掲げていた“太田市役所新庁舎建設工事の見直し”に着手する。太田市では平成6年11月から既に市役所の施設老朽化に伴い、21階建、建築事業費として232億円を計上する新庁舎の建設が始まっていた。清水氏はこの豪華すぎる新市役所案を「税金の無駄遣い」として否定し、就任早々の平成7年6月16日から施工中の基礎工事を全て停止させる措置を取った。
当然のことながらこの措置には地元のゼネコン側からの猛反発に遭ったが、市長自ら建設会社に出向いて説得に当たり理解を求めるなどの活動を続け、翌年春には基礎工事部分を利用した12階建ての新庁舎再設計案が完成。10ヶ月以上に渡って中断していた工事は1996年3月22日にようやく再開。2年後の1998年3月25日、新庁舎竣工。最終的な建設費は158億円となり、結果として64億円の削減に成功している。
[編集] ぐんま国際アカデミーの設立と県知事との対立
ぐんま国際アカデミーの私学振興補助金問題(ぐんま国際アカデミーの項目を参照)について、小寺弘之群馬県知事と対立、一向に解決に向かわない状態に陥っている。清水市長は県側に対しては外見的に低姿勢を保ちつつも、市内広報誌や自身のブログにおいては強気な物言いで自己の正当性を訴えるなど矛盾した行動をし、県側から「誠意が感じられない」と批判された。これに対し市長は「以降、そのような事はしないようにする」と述べた。 この件に関して高崎経済大学地域政策学部の増田正助教授は「特区認定を受けたところが補助金をあてにするのも都合が良すぎるように思う。結局は財政基盤を確立せずにGKAを設立した市長の勇み足ではないか」と述べている。(朝日新聞群馬版2006年9月21日木曜日28面)
[編集] 著書
- 忙しさ十倍 楽しさ百倍(1998・ぐんま2001事務局)
- 「前例」への挑戦-自治体はサービス創造企業(1999・学陽書房)
- 自治体再生へ舵をとれ(2002・学陽書房、共著)
- 市長のひとりごと(2002・上毛新聞社)
- 地方自治体の経営戦略(2004・学陽書房、監著)
[編集] 出演番組
- 「市長いまどきトーク」(エフエム太郎)
[編集] 関連人物
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 都道府県知事・市町村長 | 群馬県の政治家 | 国政選挙立候補経験者 | 太田市 | 1941年生