由良貞整
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由良 貞整(ゆら さだまさ、正徳3年11月3日(1713年12月20日) - 天明2年10月16日(1782年11月20日))は、江戸時代の高家旗本。由良貞長の長男。初名は貞冨(さだとみ)、成彌(なります)。通称は源六郎、のち新六郎。官位は初め従五位下侍従・播磨守、のち従四位下、従四位上・左近衛権少将に至る。
正徳3年(1713年)11月3日、江戸、番町厩谷ノ館において誕生。享保11年(1726年)12月11日将軍徳川吉宗に御目見する。同12年(1727年)7月5日相続。寛保2年(1742年)10月15日奥高家となる。同日従五位下侍従兼播磨守に叙任。延享4年(1747年)11月1日、従四位下に昇叙。宝暦6年(1756年)5月3日、高家肝煎。同10年(1760年)4月26日、従四位上に昇叙。安永2年(1773年)1月15日、左近衛権少将に補任。同9年(1780年)4月9日、役務を辞す。天明2年(1782年)10月16日卒。法名は長命院殿従四位上行羽林次将前播州太守松翁良久大居士。芝二本榎國昌寺に葬られた。
正妻は柴田七左衛門康端女、次室は山岡但馬守景久女、後室は戸田織部氏賢女。養子貞通、養子貞居女あり。なお、当代より10万石以上の格式、金紋揃箱御免となると家伝にあり。
[編集] 参考文献
- 「新田家記録」(新田義和責)