礼記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
礼記(らいき)とは、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物。49篇。唐代以降には五経の1つとして尊重された。現在通行している『礼記』は後漢の鄭玄注、唐の孔穎達疏の『礼記正義』本であり、『十三経注疏』に収められている。
記とは注記であり、もともとは『礼経』に対する注釈書であったが、礼に関する様々な言説が取り込まれて現在の形になっている。いわば礼に関する論文集である。『漢書』芸文志には「『記』141篇」とあり、漢代『礼記』を伝えたものに戴徳(大戴)・戴聖(小戴)がいる。その大戴礼記と小戴礼記はともに学官に立てられたが、後世、大戴礼記はふるわず小戴礼記のみが流行し、現在の『礼記』は小戴礼記がもとになっている。現存する『大戴礼記』(だたいらいき)は81篇中39篇しか残っていない。
『礼記』は後漢の鄭玄によって三礼の一つに挙げられて経書としての地位を高められ、唐の『五経正義』に至っては他の二礼『周礼』『儀礼』を差し置いて五経の一つとされて正義が作られた。
唐の玄宗は『礼記』のなかでも「月令」篇を重視し、それを当時の状況へ適用するのにふさわしい形に改めたうえで、開成石経などの『礼記』冒頭に据えた。
宋代になると『礼記』のなかでも「大学」篇と「中庸」篇が重視されるようになり、朱子学では四書の一部として独立した経書の扱いを受けるようになった。
1993年、郭店一号墓から、『礼記』の一部とほぼ同じ内容を記した竹簡が発見された。これは秦代ごろの写本)と考えられ、『礼記』のすくなくとも一部は、漢代以前に由来を持つことが明らかとなった。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 歴史関連のスタブ項目 | 儒教 | 中国の古典典籍