立憲改進党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
立憲改進党(りっけんかいしんとう)は1882年~1896年に明治時代の自由民権運動の代表的政党の一つ。明治15年(1882年)に大隈重信を中心に結成された。略称は改進党。初代総理(党首)は大隈重信
[編集] 党活動
地方都市の商業資本家・知識人層・三菱を支持基盤として、政治漸進主義を唱え、イギリス流立憲君主制・二院制議会・財産制限選挙制などの穏健な立憲政治を目標に掲げた。
1884年に大隈・河野敏鎌らが脱党し事実上解党したが後に復党、1888年に大隈が伊藤・黒田両内閣の外相として入閣した際には予算削減などで民党として活躍する一方で、大隈が手がけた条約改正案を支持し、日清戦争では国権拡張を主張した。1896年3月1日、立憲革新党・大手倶楽部等国権派と合同して進歩党を結成し、正式に解党した。
1952年~1954年にあった改進党は別の政党である。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 政治関連のスタブ項目 | 日本の政党 | 日本の政治団体