笹賀村
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笹賀村(ささがむら)は1954年まで長野県中西部に存在した村。(1890年4月1日-1954年8月1日)
1954年8月1日に昭和の大合併で松本市に編入された。
目次 |
[編集] 地理
- 河川:奈良井川
- 最低標高:590m
- 最高標高:634m
南北に細長い村である。最低標高と最高標高の差が44mしかないことから平坦な村であったことが分かる。
[編集] 歴史
平安時代には村の一部の地区が朝廷の荘園「捧の庄」(ささげのしょう)に属していた。地名も「ささげ」が「ささが」に変化したことによる。小俣地区は平安時代の終わりに諏訪神社領となった。
[編集] 行政
- 廃止当時の村長:杉山治人
- 助役:高山国次
- 収入役:赤羽和夫
[編集] 教育
- 笹賀村立笹賀小学校
- 組合立菅野中学校
カテゴリ: 長野県の市町村 (廃止) | 松本市