筋肉少女帯
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筋肉少女帯(きんにくしょうじょたい)は、1980年代後半から1990年代後半にかけて活躍した、日本のロックバンド。通称は「筋少」(きんしょう)で、アルファベットでは「King-Show」(初期は「KIN-SHOW」)と記す。
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[編集] 経歴
[編集] 結成~インディーズ期
1979年に当時中学生だった大槻ケンヂと内田雄一郎が組んだバンド「ザ・ドテチンズ」(別名ドンズ。当時の大槻のあだ名より命名)が始まり。大槻は健康青竹踏みを打ち鳴らし、内田はエレクトーンを掻き鳴らした。
ドンズが解散した後の1982年2月、二人は高校進学を期に再びバンド「筋肉少年少女隊」を結成。同4月6日のライブハウス新宿JAM「伝染病解散ライブ」にてインディーズデビュー。その後バンド名を「筋肉少女帯」に改める。とはいえ、まだまだ1984年頃のライブでは大槻がうどん粉で顔面白塗りの上、裸体に包帯を幾重にも巻きつけて歌唱するなど、「当時は学園祭バンドみたいなノリで、完全にキワモノ」(大槻談)であった。
1986年3月に三柴江戸蔵が加入した第13期以降、音楽的にも高い実力と評価を得ていくことになる。
1987年、ナゴムレコードより発売の自主制作EP『高木ブー伝説』が話題を呼ぶ。冗談画報などにも出演。その際演奏した高木ブー伝説、ドリフターなどの楽曲が問題となったりもした。 『高木ブー伝説』は結局自主回収という形で販売停止となってしまう。
[編集] メジャーデビュー~バンドブームの盛衰
様々なメンバーが加入と脱退を繰り返す中で活動を続け、1988年6月、トイズファクトリーよりアルバム『仏陀L』・シングル『釈迦』でメジャーデビュー。しかしその後もメンバーが数人入れ替わり、なかなか定着しなかった。
橘高加入・本城復帰の3rdアルバムの時点でメンバーが定着したものの、この時点で既に22期のメンバーとなる。
その後1989年に日本印度化計画、元祖高木ブー伝説の両曲が話題となり、大槻がオールナイトニッポンのパーソナリティを務めたことも相まって、一躍有名バンドへとのし上がっていく。「筋肉少女帯の深夜改造計画」という看板番組まで持っていた。
1990年2月7日には初めての武道館LIVE。以後1994年まで通算四度の武道館LIVEを敢行する。
[編集] 活動凍結~それぞれの道へ
22期メンバーでの活動に煮詰まり感を覚えていた大槻が、内田及び、三柴らかつてのメンバーと期間限定で「80年代の筋肉少女帯」を結成。 LIVEツアーも行う(後にインディーズよりビデオ発売)。
バンドブーム衰退後も独自のスタンスを保ちメジャーシーンで活躍しつづけたが、1998年7月の渋谷公会堂ライブを最後に太田が脱退。更に1999年5月にはバンド運営をめぐって橘高が、そしてその余波でリーダーの大槻が相次いで脱退を表明した。
内田雄一郎と本城聡章の2人のみとなった筋肉少女帯は事実上解散状態となる。しかし2人は筋肉少女帯の名を守りつづけることを決意し、「解散」ではなくバンドとしての活動「凍結」を宣言した。
その後、大槻は文筆活動と併行して「特撮」を結成、橘高は脱退と前後する形で結成していた「X.Y.Z.→A」に参加。太田はスタジオミュージシャンの傍らドラム教室を開催。内田と本城はソロ活動の他、『筋肉少女帯』(KING-SHOW)としてサントラ製作やライブアルバム監修、イベント主宰などを行っていった。
[編集] 再結成への布石
活動休止前後にはメンバー間で行き違いもあったものの、大槻と橘高の所属バンド同士の競演や、内田が参加するバンドのLIVEに大槻が参加、内田と本城の主催イベントに橘高が参加(一夜限りの復帰と銘打ってセッションも実施)するなどして修復し、しまいには「仲直り」自体がイベントのネタと化していくこととなる。
2006年4月から7月にかけて『週刊アスキー』誌上において大槻が『筋肉少女帯物語』第1部を連載。大槻本人が明記しているようにフィクションのキャラクターも登場する「小説」であるが、当時のメンバーらの許可の元に、バンドブームに巻き込まれ、急激に人気バンドになってしまった彼らを取り巻いていた状況も語られている。
そして小説第1部の最終回掲載直前の7月22日。恵比寿で行われた『大槻ケンヂと橘高文彦』のライブに、内田と本城が登場。この4人で、同年12月28日に筋肉少女帯のライブを行うことが発表され、凍結状態であったバンドに大槻と橘高が再加入をする形で8年ぶりに復活を果たすととなる(小説第1部のラストでも、大槻が復活を宣言している)。 なお橘高は「少しでも長く続けられるように」との意向を表明しており、期間限定の復活ではないことを示唆している。
[編集] メンバー
[編集] 現メンバー(第24期)
- 結成時よりのオリジナルメンバー。結成当初はボーカル&ベースだったが、唄いながらだとベースが弾けないことが発覚。ボーカルに専念することとなる。
- 筋少のほとんどの作詞を手がけ、独自の幻想的・自虐的世界観を作り出すことに成功する。作家、エッセイスト、タレントなどとしても活動。バンドの知名度アップに大きく寄与したが、同時に色物的扱いを受ける要因にもなってしまった。2006年7月再加入。
- 結成時よりのオリジナルメンバー。結成当時はキーボードを担当していたが、大槻がベースができなくなったために急遽ポジションチェンジ。以後ベーシストとして在籍する。
- 大槻とは中学からの同級生であり、空手バカボン、まんが道などで行動を共にする。特撮にも一時期在籍。
- プログレを好み、筋少でも幾つかの名曲を作曲している。現在は水戸華之介&3-10chainでも活動中。
- 1982年、ケラと共に有頂天結成、同4月6日のライブで筋少と共にインディーズデビューを飾る。内田の高校の先輩というつてもあり、結成半年の筋少に掛け持ち加入。
- 1989年の再々加入後(1984年にも数ヶ月ほど脱退していた時期がある)、1992年ごろより作曲を手がけ始め、筋少のPOPな一面を引き出す立役者となる。
- 1984年、ヘビーメタルバンド「AROUGE」にてメジャーデビュー。解散後、1989年より筋少に参加。
- 「三柴君と一緒にやれると思ってたら、彼が辞めちゃって」とは本人の談。
- 様式美メタルな作曲と、本人いわくお城を建てるギターソロが特徴。メインギターはギブソンのフライングV。
- 1999年には二井原実(LOUDNESS)らとメタルバンドX.Y.Z.→Aを結成。2006年7月、筋少への再加入を果たした。
[編集] 主な過去在籍メンバー
※過去在籍したメンバーは総勢18人にも達するため、主な者のみに留める。
- 約11年間に渡って在籍した19-22期メンバー。通称「90年代の筋少」の一人。ジャズなどの素養も持ち、幅広い音楽性のバンドを、卓越したドラムテクニックで支え続けた。後述の三柴とはスタジオミュージシャン時代からの旧知の中。
- 今回の復活にあたり、メンバーから太田にも参加の要請がなされたが「一緒にやるには、まだ時間がかかりそう」との理由で参加は見送られた。
- 通称エディ。デビュー初期のプログレ色を牽引した一人。全裸でピアノを弾いた、演奏後観客席にダイブしたなどの豪快な逸話あり。4歳から続けてきたクラシックピアニストとしての側面を追求するために、2ndアルバム後に脱退。
- 大槻らとの交友はその後も続き、1998年には「80年代の筋肉少女帯」で活動、筋少脱退後の大槻が組織した特撮のメンバーとなる。また2006年には「大槻ケンヂと橘高文彦」のサポートも務めた。
- 2006年12月28日の筋肉少女帯復活ライヴにもピアノ&キーボードでサポートメンバーとして参加する。
- デビュー時のドラム担当。しかし俳優業専念のため脱退。
- 現在はケラの率いる劇団「ナイロン100℃」の看板俳優として舞台、TV等で活躍中。
- 石塚BERA伯広(いしづか べら のりひろ)ギター。東京都出身。1985-1986年在籍。
- 太田明とのYTJ、中野テルヲとのMODE-ID等数多くのバンドを経験。ナゴムの他バンドとの交友も広い。
- 1998年には「80年代の筋肉少女帯」のメインギタリストとしても参加。
- 関口博史(せきぐち ひろし)ギター。1987年-1988年在籍。
- 元・ばちかぶり。筋少にはばちかぶりと掛け持ちで在籍していた。
- デビューアルバム「仏陀L」に参加後、脱退。1998年「80年代の筋肉少女帯」ライブにて久々にゲスト参加。
- 友森昭一(とももり しょういち)ギター。1987年在籍。
- 元・オートモッド、レベッカ。学生時代からプロのスタジオミュージシャンとして活動。
- インディーズ期の筋少でギターを弾きながら、同時にレベッカでは武道館ライブをこなしていた。
- 筋少在籍時はサポートメンバーだったレベッカだが、後に三代目ギタリストとして正式加入を果たしている。
[編集] サポートメンバー
- 秦野猛行(はたの たけゆき)キーボード。1989年-1998年までサポート担当。
- 三柴脱退後に永久欠番となったキーボードのポジションを約10年に渡りサポート。
- LIVEはもちろん多くのアルバムにも参加し、22期メンバーと共に「90年代の筋少」の音を作り上げた。
- 横関敦(よこぜき あつし)ギター。1988年-1989年サポート。
- 1980年代、メタルバンド「BRONX」でデビューし、ジェットフィンガーの異名をとった早弾きギタリスト。
- 関口博史、加藤卓之の後を受け、サポートギタリストとして2ndアルバム「SISTER STRAWBERRY」の録音にも参加。
[編集] ネーミング
「当初は、筋肉少年隊とするはずであったが、少年隊が所属するジャニーズ事務所よりクレームがついた為、名前を変えた」と言う俗説があるが、先述のようにインディーズの無名時代からすでに「筋肉少女帯」と名乗っている。
当の大槻ケンヂによれば、
- 確かに「少年隊」というネーミングには影響された
- そこで「筋肉」と「少年隊」という対比的な概念を組み合わせようと考えた
- 当時、自分の性別に違和感を感じることもあったので「少年」→「少年少女」→「少女」に変更
- 「隊」という文字に不良少年的なイメージを感じ、気に入らなかったので字を変えた
というのがネーミングの理由であるとの事。
※ただしその時々で大槻が面白おかしく脚色して話したために、実際のところははっきりとしない。
[編集] 特徴
筋肉少女帯の音楽的特徴としては、大槻の詞の世界と、バンドサウンドの完成度が挙げられる。大槻の描く詩の世界は大衆受けするものではなく、当時「ナゴム系」と呼ばれた一部のサブカルチャー趣向の少年少女たちの支持を受け、いわゆるバンドブームが衰退した後も、根強くバンドを支えた。
また、大槻の幻想的・奇抜な詞からキワモノバンドとして見られがちであったが、大槻とは長い付き合いでプログレッシブ・ロックやYMOの影響の濃い(野口五郎など歌謡曲の影響もある)内田、2ndアルバムから参加のテクニシャンドラマー太田、そして3rdアルバムから参加した橘高・本城らによるバラエティ豊かなサウンドは、ハードさ、繊細さにおいて高い完成度を誇っていた。
そもそも大槻は「人前に出るためにバンドを始めたので、音楽のビジョンがなかった」と自ら回想しているように、彼にとってはあくまでもバンドは表現の一手段であり、その形態を続けることが何よりの先決であった。そこで他のメンバーによる音楽性の明確な方向付けがバンドには不可欠であったのだ。
三柴在籍時のインディーズ後期からデビュー初期にかけてはプログレ、パンク、ハードロックが混在した音を聴かせ、主に三柴と内田が音楽的方向性のイニシアチブを握っていた。
三柴脱退後、新たな方向性を模索していた筋少は、洋楽受容者でヘヴィ・メタルのギタリストである橘高の加入後、彼と本城のツインギターによりハードロック系の音楽性を前面に押し出していくこととなる(大槻は一般的にメジャーなこの時代の筋少を指して「'90年代筋少」と呼んでいる)。大槻は時には橘高のメタル路線や本城のポップス志向に音楽をゆだね、時には意図的な不調和をかもし出す詞やアレンジを施すなど、自身のイマジネーションを発揮する方向性を見出していった。
[編集] 全作品リスト(インディーズ期含む)
[編集] シングル
- 1987年7月?日 / 『高木ブー伝説』 ナゴムレコード
- 1988年6月21日 / 『釈迦』 TOY'S FACTORY
- 1989年4月25日 / 『ボヨヨンロック』(まんが道名義であるが、実際には22期メンバーが演奏) TOY'S FACTORY
- 1989年12月5日 / 『元祖高木ブー伝説』 TOY'S FACTORY
- 1990年9月5日 / 『サボテンとバントライン』 TOY'S FACTORY
- 1991年7月5日 / 『踊るダメ人間』 TOY'S FACTORY
- 1992年2月21日 / 『氷の世界』(井上陽水の同名曲をカバー) TOY'S FACTORY
- 1992年6月21日 / 『バトル野郎~百万人の兄貴~』(ストリートファイターIICMイメージソング) TOY'S FACTORY
- 1993年3月21日 / 『暴いておやりよドルバッキー』(ドルバッキーについてはこちらを参照のこと) TOY'S FACTORY
- 1993年5月21日 / 『君よ!俺で変われ!』 TOY'S FACTORY
- 1994年1月25日 / 『蜘蛛の糸』 MCAビクター
- 1994年5月21日 / 『香菜、頭をよくしてあげよう』(朝日放送制作・テレビ朝日系列ボイズンガルズテーマソング) MCAビクター
- 1994年11月23日 / 『リルカの葬列』 MCAビクター
- 1996年3月6日 / 『トゥルー・ロマンス』 MCAビクター
- 1996年11月25日 / 『僕の歌を総て君にやる』 マーキュリーミュージック
- 1997年1月29日 / 『小さな恋のメロディ』 マーキュリーミュージック
- 1997年4月30日 / 『タチムカウ-狂い咲く人間の証明-』 マーキュリーミュージック
- 1997年9月3日 / 『221B戦記』(筋肉少女帯と水木一郎名義) マーキュリーミュージック
[編集] オリジナルアルバム
- 1985年9月?日 / 『とろろの脳髄伝説』(ミニアルバム) ナゴムレコード
- 1987年3月?日 / 『ノゾミ・カナエ・タマエ』(ミニアルバム) ナゴムレコード
- 1988年6月21日 / 『仏陀L』 TOY'S FACTORY
- 1988年12月21日 / 『SISTER STRAWBERRY』 TOY'S FACTORY
- 1989年7月5日 / 『猫のテブクロ』 TOY'S FACTORY
- 1990年2月5日 / 『サーカス団パノラマ島へ帰る』 TOY'S FACTORY
- 1990年11月21日 / 『月光蟲』 TOY'S FACTORY
- 1991年7月21日 / 『断罪!断罪!また断罪!!』 TOY'S FACTORY
- 1992年5月21日 / 『エリーゼのために』 TOY'S FACTORY
- 1993年4月25日 / 『UFOと恋人』 TOY'S FACTORY
- 1994年4月21日 / 『レティクル座妄想』 MCAビクター
- 1996年3月23日 / 『ステーシーの美術』 MCAビクター
- 1996年12月9日 / 『キラキラと輝くもの』 マーキュリーミュージック
- 1997年10月15日 / 『最後の聖戦』 マーキュリーミュージック
[編集] コンセプトアルバム
- 1990年1月25日 / 『ナゴム全曲集』(ベストアルバム) ナゴムカンパニー
- 1992年3月21日 / 『筋少の大車輪』(ベストアルバム) TOY'S FACTORY
- 1993年11月1日 / 『筋少の大水銀』(シングル・ベスト、限定生産) TOY'S FACTORY
- 1996年12月18日 / 『筋少MCAビクター在籍時BEST&CULT』(ベストアルバム) MCAビクター
- 1998年6月29日 / 『SAN FRANCISCO』(コンセプト&ベストアルバム) マーキュリーミュージック
- 1998年9月29日 / 『80年代の筋肉少女帯』(ライブトラック集) UGSレコード
- 2001年12月19日 / 『スーパー・バリュー』(ベストアルバム) ユニバーサルミュージック
- 2002年12月26日 / 『筋少の大海賊 vol.1』(ライブトラック集・公式海賊盤) 筋肉レコード
- 2003年2月20日 / 『筋少の大海賊 vol.2』(ライブトラック集・公式海賊盤) 筋肉レコード
- 2006年3月1日 / 『GOLDEN☆BEST』(ベストアルバム) ユニバーサルミュージック
- 2006年6月21日 / 『筋肉少女帯 ナゴムコレクション』(ベスト&レアトラック集) ナゴムレコード
[編集] 映像作品
- 1988年7月21日 / 『KIN-SHOWの大残酷』 TOY'S FACTORY
- 1990年4月25日 / 『筋肉少女帯 at 武道館』 TOY'S FACTORY
- 1991年8月5日 / 『三年殺し』 TOY'S FACTORY
- 1992年7月5日 / 『筋少祭りだ!90分』 TOY'S FACTORY
- 1998年3月18日 / 『sience fiction double feature~筋肉少女帯 Live & PV-clips~』 マーキュリーミュージック
- 1998年12月10日 /『80's筋少Live & clip』 UGSレコード
[編集] その他(オムニバスアルバムなど)
※「バンドブーム特集」などの企画編集盤は除く
- 1984年12月?日 / 『あつまり』(「肉の王者」「釈迦」「オレンヂペニス」収録) ナゴムレコード
- 1987年2月21日 / 『子供たちのCITY』(「23の瞳」収録) アポロン
- 1988年3月?日 / 『昔、ナゴムレコードがあった』(VHS、「サンフランシスコ」「高木ブー伝説」「釈迦」収録) ナゴムレコード
- 1998年2月25日 / 『地獄の賞賛~KISSトリビュート・イン・ジャパン』(「パラサイト」収録) マーキュリーミュージック
- 1998年11月26日 / 『ATOM KIDS Tribute to the king "O.T."』(「海のトリトン」収録) ワーナーミュージックジャパン
- 2000年6月4日 / 『CRAZY MAX 1st』(プロレス団体のO.S.T。KING-SHOW名義(23期筋少)で四曲参加) C-MAX RECORDS
[編集] レギュラー番組
- 筋肉少女帯の深夜改造計画(1989年10月-1990年 日本テレビ系)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 筋肉少女帯 -Official Web Site-(公式サイト)
- 筋肉少女帯 復活情報局!
- 大槻ケンヂ公式ウェブ(大槻ケンヂ)
- HONJO.COM(本城聡章)
- 内田雄一郎の頁(内田雄一郎)
- 橘高文彦オフィシャルサイト(橘高文彦)
- Akira Ohta Official Web(太田明:ex)
- 三柴 理/ピアノのなせる業と神髄(三柴理:ex)
[編集] トイズファクトリー 公式HP
カテゴリ: 日本のバンド | ヘヴィメタル・バンド