詠春拳
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詠春拳(えいしゅんけん。永春拳とも)は広東省を中心に伝承されていた徒手武術を主とする一派で、少林武術を祖とし、一般的には短橋(腕を短く使い)狭馬(歩幅が狭い)の拳法であるとされている。200年~300年の歴史があると考えられている。拳法を中心技術として刀術と棍術とを含むが、伝承された型を分析すると、むしろ刀術と棍術を基礎として、それを徒手拳法に応用した部分も多く見受けられる。練習に人を象った木の人形(木人樁,もくじんとう)を使用することでも有名である。
手技に特徴があり見栄えもするため、香港映画や、最近ではハリウッド映画などにもそのアクションの中で詠春拳の手技が見られることが多いが、根本的に飛んだり跳ねたりということを一切しない、実用を重視した地味な拳法体系である。
最も有名な説によれば、厳詠春(もしくは方永春)という女性が、鶴と狐(別説には鶴と蛇)の闘争を基にして創始したと言われる。また別説では、少林寺の至善禅師が現在の広東省仏山へ至った際に、細い路地や船での移動の多いこの地方では、北方の動作の大きい少林拳は不向きであるとして、山羊と鶴の動きを参考に小さい動作の拳法として改良したものとも言われる。
詠春拳は現在、多くの分派、スタイルを生じている。そのうちのどのスタイルが原型に近いものであるかも定かではなく、その起源に関してはほとんど不明である。発祥起源を伝える伝説は何通りも存在し、一人の人間によって立てられた門派ではないものとも考えられるが、にもかかわらず各派がそれぞれに"詠春拳である"といえる特徴をきちんと持っているという、一種不思議な門派である。(近いスタイルと言われる白鶴拳などにはない、詠春拳独自の動作が各派の型動作に含まれている) ブルース・リーによって葉問派詠春拳が世界的に有名になってからは、世界各地に伝えられ最も多く練習される中国武術の一つになったが、ブルース・リー以前にも華僑によって東南アジア方面にも伝承されており、それぞれに独自のスタイルを形成している。
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[編集] 発生起源と歴史
詠春拳の発祥には清朝に対するレジスタンスや、粤劇(広東オペラ)の発祥が関わっていると言われる。創始者とみなされている者としては、至善禅師、五枚大師、厳詠春、方永春、張五(攤手五)などの名が残る。それ以降の伝承者の名称には粤劇における芸名が多く見られ、詠春拳と粤劇はその創成期において歴史を共有しているようである。一説には"詠春"という詩的なネーミングは、そのあたりに由来すると考えられている。また広東省の隣の福建に「永春」という地名があり、永春白鶴拳という拳法も存在するため、そこにそれぞれ関わりがあるという説、南少林寺の「永春殿」で練習されたからという説がある。最も有名な説として、"厳詠春"という女性の名前から取ったとも言われるものが有名だが、、史実等による実在が確認できないためこれもあくまで伝説の域を出ない。 また詠春拳の創始者の一人と伝わる五枚(五梅)大師が、清朝の追っ手を逃れてタイやミャンマー国境に程近い四川省の大涼山に隠れ、そこで詠春拳を作ったという伝承がある。このことから、東南アジアの古武術、ムエタイの原型といわれるLing Lomとの関係を指摘する説もある。
いずれにせよ、ある時期より広東周辺の演劇の興行単位であった「紅船戯班」の内部で伝承されてきたことは間違いないようである。紅船戯班内部より外に伝承されるようになってからは、この地方の他の拳法と同じく、ほとんど親族間でのみ伝承されてきたようで、職業として詠春拳を教授するものも稀であった。このため、詠春拳はその歴史上のほとんどの期間においては、門外不出の様相を示していたようである。
「永春」と表記する場合があるが、これは古い系統を示しているもので、ある時点から「詠春」と表記される派が出現する。現在見られる多くの派は、詠春拳王と呼ばれた梁賛を中興の祖とするもので、それ以前やそれ以外の系列を示す伝承は少数派である。
現在のほとんどの詠春拳(永春拳)の伝承には、小念頭、尋橋、標指、と呼ばれる(またはそれに相当する)3つの徒手の拳套(空手でいう型)と、木人樁法、八斬刀や胡蝶刀と呼ばれる刀術、六点半棍、行者棒などと呼ばれる棒術が含まれるが、伝承によってはそれ以外の拳套や武器術も伝わっており、その全てが短橋狭馬というわけでもない。
詠春拳はその発生起源からして、変わらない伝統ではなく、時代につれて積極的に変化発展していくという雰囲気を持っているようであり、各派の多様性はそれゆえであるとも考えられる。詠春拳王・梁賛も、生涯を詠春拳を技法整理にかけたと伝わるし(梁賛詠春拳の最終形態は、古労詠春と言われる)、ブルース・リーの師とされる葉問も、様々な試行・改変を繰り返した痕跡を残している。詠春拳の伝統が持つそのような発展工夫の精神は、中国の他門派よりも比較的にダイナミックである。それは今も連綿と続き、ブルース・リーのジークンドーや、最近では護身志向、または総合格闘的な志向の新しいスタイルも生まれている。またベトナムでは南北に分かれて完全独自な発展をみているようであるし、他国においてもまだ世間に知られていない独自の派が存在する可能性も大きい。
[編集] 詠春各派
[編集] 葉問派詠春拳
最も有名なスタイルに葉問派詠春拳があるが、その極端にコンパクトで直截性を強調した動作は、古いスタイルの詠春拳を意図的に整理、近代化したものであり、詠春拳の全体像から見れば独特なものであって、これが詠春拳の代表的スタイルというわけではない。
葉問系詠春拳は伝統武術についてまわる五行、八卦などの東洋思想を排除し、練習者に科学的論理性と徹底した理解を求めるというスタイルで知られ、合理的・実戦的であると言われる。
また他の中国武術のような内功、外功といった概念を持たず、呼吸法も存在しない。触覚を重視することで、目に頼らずに戦うという考えであるために、周辺の比較的スタイルの近い門派には存在する視力の訓練も存在しない。身体に負荷をかけたり、身体を打ち付けて鍛えるような外功的な訓練も行わなず、力みを極端に嫌い、南方の拳法としては意外にソフトな訓練体系であることでも知られる。このようにないないづくしなことが、重厚なスタイルを好む人たちには物足りなさを覚えさせるが、無駄を徹底排除したがゆえに実用実戦的であるとも言える。
その反面、戦闘理論に関しては非常に厳密な理解と体現を要求するので、見た目や評判に反して、実際には非常に習得の難しい武術である。その内容も、時代が下るにつれて、また広く練習されるにつれて、薄められたり、映画のアクション的な動作や他の格闘技術などの影響を受けて改変・補強されてしまったりする傾向にある。葉問詠春拳の本来持っていた徹底したシンプルさと実用を重んじるという特徴は、その学習と理解のしにくさも手伝ってか、徐々に見られにくいものになってきている。
最近ではこの葉問派から、より現代的な格闘技法を取り入れた各派も生じており、未だ世界的に隆盛を誇る武術門派であるが、日本においては今もマイナーな一中国武術に過ぎない状態である。
[編集] その他の詠春拳
刨花蓮詠春拳、紅船詠春拳、阮奇山詠春拳、岑能詠春拳、彭南永春拳、古労詠春拳(偏身詠春拳)、陳汝棉系永春拳(順徳永春拳)、 越南詠春、馬来西亜永春などの各派があり、その他にも秘密主義を貫いて今も隠され続けている伝承も残っているという。香港返還の影響や華僑の動きによって世界的に伝承が散らばり、本国である中国で途切れた伝承が、海外に残っているような例も存在するようである。非常に多様である。
[編集] 詠春拳の技術
〔オーソドクスな葉問派詠春拳を規準としたもの〕
詠春拳は基本的には短打接近戦の徒手による立ち技格闘技術の体系である。接近戦と手技の細やかさに特徴があり、また打撃技を攻撃の主とするのは、相手の攻撃を成功させずに、いち早く相手を打倒することを考えて作られているためである。その他の応用、技術は緊急用、または補助的な技術と位置づけられていて、根幹を成している部分の技術は、最初から実用に当たっての的が絞られていると言ってよい(総合的なものを目指した格闘技術ではない)。
近距離での打撃に対する防御技術が精緻であり、基礎の拳套である小念頭に含まれる技の約8割は防御技である。(ただし防御技・攻撃技と分類のできないものも多い)蹴り技についても同じで、防御的な技のバリエーションが多い。また相手の動向を察知するという点にも重点がおかれ、その攻撃技でも防御技でもない技(概念)というものをはっきりと有している。この二点が武術格闘技としては非常に特徴的である。ただし防御技術に優れるとはいっても、合気道などとは違って打撃で相手を制しようとするスタイルゆえに、攻撃的なスタイルではある。
詠春拳の訓練は、まず拳套によって技のパーツとしての手形と身体構造の運用法の基礎を学び、未精練な筋肉運動の改変を行う。より実践的な応用やセオリーは対人練習によって学び、訓練する。このため、対人訓練には大きなウェイトが置かれている。黐手(チーサウ/チーサオ)と呼ばれる、お互いの腕を接触した状態で自由攻防する練習によって、様々の応用技術、戦闘理論、歩法、体捌き、位置取りなどを学び、また神経反応の改変と養成、本能的な精神反応の改変、発力方法、運力方法を訓練する。
[編集] 詠春拳の技術に関する誤解
- 詠春拳というと寸勁(寸打)が有名であるが、詠春拳(または南方拳術)の寸打は独特であり、北方系の拳術の寸勁と同じものとは言えない。
- 詠春拳には裏拳や曲線を描く打撃がないように言われることがあるが、実際には裏拳、フック、アッパー、チョップ、各方向からの肘打ち、回し蹴り(に似たもの)までもがある。それらは特に近代格闘技などからの流入というわけではない。特にチョップと裏拳は肘技に関連しているのでよく使用される。
[編集] 日本における詠春拳事情
日本で詠春拳といえば、それはおおむね葉問系詠春拳のことである。
70年代のブルース・リーの人気により、日本でも詠春拳を学びたいと考える人が沢山いた。しかし葉問の直弟子全盛の時代には香港まで渡り、または香港人に付いて最終段階である標指まで学ぶことにできたのはごく小数に限られた。理由の一つに「日本人に教えてはならない」という葉問の教えの影響がある。80年代~90年代に日本人でも学べる香港の武館は黄淳梁氏の武館だけであったとも言われており、この遺言の影響は現在でも残る。この影響により、日本で武館を開くものはまだ数少なく、練習者も少ない。香港人について運良く全伝を学ぶことができても、日本で教えてはならないと言い含められてることがあり、今も広範な伝承にはブレーキがかかっている。このことが日本と各国との人気・事情の差となっている。
日本の先駆者としては、川村祐三氏(徐尚田師、姜撓基師伝)、台湾出身の錢彦氏(廬文錦師伝)が知られる。両氏は、80年代より中国武術専門誌や書籍、主催する団体を通して詠春拳を日本に紹介してきた。
近年、世界中に葉問の孫弟子、ひ孫弟子にあたる第2、第3世代の指導者が多く現れており、彼らによれば日本人であっても葉問派詠春拳を学ぶことは難しくない。その影響もあり、近年は上記の二氏以外の指導者や団体の活動も増えてきている。