金鈴社
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金鈴社(きんれいしゃ)は、大正時代の美術団体。
大正5年(1916年)に美術雑誌『中央美術』の主宰である田口掬汀が身近な作家に呼びかけて、結城素明、鏑木清方、吉川霊華、平福百穂、松岡映丘ら当時の中堅作家5人により結成された。その趣旨は当時既に閉塞状況にあった文展に対して、自由な制作発表の場を持とうというものであった。このため会自体は何らの制作思想や規約を持たなかったことが、美術団体としては特異な点となる。
ただし唯一の特徴としては、帝展では会場における印象を強めるために大型作品(俗に「会場芸術」と呼ばれる)ばかりが制作される傾向にあったが、金鈴社ではこれに対して実際に当時の家屋で飾ることの出来る作品を原則としていた。
同6年2月に三越本店で第一回展を開催し、同11年6月までに7回の展覧会を開催した後、この第7回展を最後に解散した。その主な理由は5人の作家の制作状況の自然な変化であり、翌12年には5人全てがの審査員となっているように、画壇での地位を確立した結果特殊な発表の現場としての金鈴社がその存在意義を失っていたからである。