閑院宮直仁親王
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閑院宮直仁親王(かんいんのみやなおひとしんのう、宝永元年9月9日(1704年10月7日) - 宝暦3年6月3日(1753年7月3日))は江戸時代の皇族。弾正尹。准三宮。幼名は秀宮。宝永7年(1710年)に世襲親王家の一つ、閑院宮家を創設する。
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[編集] 系譜
東山天皇の第六皇子。母は内大臣従一位櫛笥隆賀の娘・藤原賀子(新崇賢門院)、同母兄弟に中御門天皇がいる。 御息所は関白近衛基熙の娘、藤原脩子(八百君)。
- 妃:近衛脩子(八百君)
- 第一王女:始宮 治子女王 1720-1747
- 女房:讃岐(伊藤一中娘)
- 生母不明
- 第一王子:梅芳院 1723
- 第二王女:蓮香院 1727
- 第八王女:王女 ?-1797
[編集] 系図
─(108)後水尾天皇─┬(109)明正天皇 ├(110)後光明天皇 ├(111)後西天皇─(有栖川宮)幸仁親王─正仁親王 └(112)霊元天皇┬(113)東山天皇┬(114)中御門天皇─→ │ └(閑院宮)直仁親王─→ ├(有栖川宮)職仁親王〔有栖川宮へ〕 └吉子内親王
┬(114)中御門天皇─(115)桜町天皇┬(117)後桜町天皇 │ └(116)桃園天皇─(118)後桃園天皇 │(閑院宮) └直仁親王┬典仁親王(慶光院)┬(閑院宮)美仁親王〔閑院宮へ〕 │ └(119)光格天皇─(120)仁孝天皇┬(121)孝明天皇─(122)明治天皇─→ └鷹司輔平(鷹司基輝養子) └親子内親王(和宮、徳川家茂夫人)
[編集] 略歴
当時、既にあった宮家(伏見宮・有栖川宮・桂宮)は何れも天皇とは遠縁であり、皇統の断絶を危惧するも即位となれば天皇の近親者が相応しいとの考えから宝永7年(1710年)8月10日、新井白石の建議により創設された。享保3年(1718年)霊元上皇より直仁親王へ閑院宮の家号と所領1000石が下賜された。伏見宮・有栖川宮・桂宮・閑院宮を合わせて4宮家(四親王家)という。
閑院宮邸は京都・公家町南西にあり、明治に入り閑院宮家が東京に移ってからは宮内省京都支庁・厚生省管理事務所などを経て近年は環境庁京都御苑管理事務所として利用されていた。
[編集] 関連項目
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